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「あれから十五年も経ったんだ。いい加減に自分の人生に向かったらどうなんだ」
「先生……、親が我が子のことを忘れちまったら、いったい誰があいつを思い出してくれるってんです?」
第1問
ある x に対して変数 a を動かしたときの y の挙動を調べれば良い。y が天井知らずなのは明らかなので、あとは変数 a に対する最小値のみが問題となる。というわけで、微分微分して増減表。x=1 ライン前後で場合分け。うん、これ、イチョウすね。
第2問
(1)サイコロの回数は n 回でも 2n 回でも 3n 回でも題意は変わらない。A A を区別して A1 A2 とすれば良い。P_k(A1) も P_k(A2) も漸化式で表現できるので、さっさと解く。(2)は消化試合。むしろ(1)のヒントだったのかも知れない。
第3問
xが十分小さいときと十分大きいときの挙動から、両関数が接するときであることが分かる。というわけでゴリゴリ計算。(log x)^2 の積分なんて覚えているわけないので、これもゴリゴリ導出して計算。最後はあっさり。しっかしセンスねえなあ。
第4問
(1)と(2)はポポポポーンと解ける。道が見えるとすっきりするね。(3)には腕を組むも、やがて思い出すはネーター大先生である。というわけで、かすみ二段数学的帰納法。あとは中学生でもできる。
第5問
にやりとするも、五分で終わる。しかしこれ、全数調査でも解答可能だよね。「分母分子の素因数のうち 2 のみを表記する」とすれば記載も超圧縮できるし、採点者も「おまえほんとは調査してないだろ!」というツッコミはできないはず。試験会場にはそういう猛者もいたことでしょう。
第6問
積分と極限をめぐる冒険。結局これだけは途中で放棄しました。そうか、部分積分か。すっかり抜けていたよ。いかんな。
うん、今でもそれなりに解けるね。僕はまだ僕だ。
曇り。「測定や近似を行っているわけでもないのに、『誤差』という言い回しをそれっぽく使っている輩が気に入らない」「『誤差』には『ちがい。くるい。』という漠然とした意味用法もあってだな」「なるほど。世俗化ってやつだな」
会社に行く。
「制度が必要以上に複雑であるために、専門家の必要性が生じている」が仮に事実だとしても、「専門家の必要性のために、制度は必要以上に複雑に作られている」は陰謀論だと思うよ。ハンロンの剃刀は大事だよ。
スクリャービンの後期ソナタの楽譜を広げる。「第6番はスカルボのオマージュだと思う」「スカルボの初演は1909年で、第6番の作曲年は1911年。ギリギリセーフだね」「チャチャーンだよ」「チャチャーンだね」
天気はとても良い。気が大きくなってくるね。鉄骨を渡りたくなるね。
会社に行く。
クレーマー扱いが怖くて健全な議論ができるもんか。どんなに面倒臭い奴だと思われようとも、よく調べて、よく考えて、よくまとめて、きちんと主張することはとても大事だ。遠慮してちゃ何も進まないよ。「ネトウヨさんもきっとそう思ってるよ」「そういう意味では他人とは思えないんだよね」
宿の手配をする。来週末は福岡、再来週末は白馬です。
昔、ザ・シンプソンズで Sunshine, Lollipops and Rainbows を聴いたことを思い出す。陽気な歌だよ。今でもたまに口ずさんでいます。
夜、一発録音した。曲名は「エアーマンのために」にした。まだまだドラフトの段階です。
小雨が降る。午前中は、部屋の掃除をして、ピアノを弾く。クルマで新宿に行き、すぐに引き返す。昼食にスパゲッティを食べた。
午後は再び新宿へ。ブックファーストで漫画を買い、ユニクロで下着と靴下を買い、ビックカメラで蛍光灯を買っていく。「世界樹と不思議のダンジョン」、遊んでみたいなあ。タリーズでアイスコーヒーを飲み、ドーナッツを食べた。
近所のスーパーに寄ってから部屋へ。蛍光灯を交換する。クルマで渋谷に行き、部屋でマッシュポテトと豚バラキャベツを作った。マッシュポテトは、ジャガイモ、ニンニク、マヨネーズ、バター、黒胡椒からなるシンプルなもの。うまいね。
相変わらず天気は良い。「花粉が粉砂糖だったら良かったのに」「ベタベタになりそう」「じゃあ花粉が粉砂糖じゃなくて良かったね」「知らないよ」
会社に行く。
病院に行ってきた。フルーツクランブルケーキにホイップをつけて食べる。
結婚式で司会の方が「新郎新婦はご友人のご紹介で知り合い」と言ったときに、「はいはい合コンね」と勝手に察するひとよりは、「へえすてき! そのご友人って誰かなあ! 今日来てるのかなあ!」と思うひとでありたいと常々思っています。「天真爛漫であるには訓練が必要だ」「逆説がお好きね」
後輩が席に来る。一足お先に。どうかよろしく。
表参道のロクシタンに行き、代々木上原の花屋に行く。良い人生だと思っています。
英語字幕で見た。もちろん部分的にしか分からないけれど、日本語字幕だとかなりの内容を削ぎ落とされているので、結果的に拾える情報量としては大差ないんじゃないでしょうか。目と耳が同じ言語だと脳にやさしい感じ。ジョークや決め科白が分かると楽しいね。
前半はパニック映画。新参者のマーティンと島の地元民との軋轢や衝突が見所で、特にとばっちり平手打ちのくだりがとても良い。「どうすれば島の人間になれるの?」「絶対になれないよ。島生まれじゃないでしょ?」は、正直言って、どこの日本の寒村だよ、と思いましたね。「もう帰ろう」「ニューヨークへ?」「いや、この島の家へ」にはグッときました。いいね。
後半は完全に冒険劇。海に向かう三人のおっさんたち! ただ目指すはにっくき人食いサメのアンチクショウ! 「白鯨」か! なんでボートにバットがあるのよ! インディアアナポリスの悲劇のくだりは印象的。原爆に関わった者たちの物語。そりゃ誰だって死にたくないよ。サメとの最後の攻防には「イエー!」と叫ばざるを得ません。イエー!
しかしこの作品、小学生の頃に見たはずなんですが、ちゃんと Parental Guidance 指定されてますね。うん、まあ、こわいからね。普通にこわいからね。クライマックスはほんと凄惨だわ。
花が咲き始めている。春といえばクラムボンの「Adolescence」だ。
会社に行く。
禅の公案は、答えの見えない問題に粘り強く向き合い続けるための知的耐久力を求めるものだ。世のなかは明晰な問題解決に終始する場面ばかりではない。出口のないトンネルを何日も何日も歩き続けなければいけないときもある。たぶんナポリタン問題も似たようなものだと思うので、きっと二十年後にはナポリタン問題は公案になっているよ!
去年の冬、八ヶ岳の行者小屋近くで見た雪のことが忘れられない。あんな美しい雪がこの世にあるのだということを教えられた。
夜は目黒川まで桜を見に行った。このところ、ピアノで「春よ、来い」を弾いている。基本的に低音しか使いません。
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