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白黒キネマの廃工場から流れる煙がこの子を包んだり、言祝ぎとした白雨消え入ったり、点鬼簿くわえた白髪少女が神木登って爪立ち絶叫したり、双眸を縫ったお狐様の行列が股開いたり、首転がったり、この子よく見たらお人形だったりする映画ではありませんでした。残念だ。浅黄に染まった男と女が利休鼠の眼球こすって痙攣するシーンが見たかったのに。
(ええ、どうぞググってください。そして、あさきという男がどれだけの少年少女を中二病ワールドにいざなったのかを想像し、戦慄してください。)
あらすじ。マッドママンの真弓さんは娘の麻矢ちゃんに徹底的な復讐教育を施した上でトラウマ自殺しやがったので、一人残された麻矢ちゃんは憎きパパンに復讐するためだけに存在する恐怖の殺人マッシーンになってしまったのです。秋山階一郎がジャンに睦十を殺せと教えて自殺したようなものですね。睦十を殺すのは大変だろうなあ。ジャンがんばれ。
冒頭二十分で「もしかして」と思ったらそのとおりだったので笑いましたが、そのあとにちゃんとトリックが用意されていたので救われました。トリックなしで終わっていたら壁本ならぬ壁映画ですよ。壁映画? なにそれおもしろそう! あなた、安部公房じゃないんだから。
曇り空の下になまあたたかい空気が溜まっている。アイスが欲しくなるね。
会社に行く。
歯医者に行ってきた。親知らずの歯茎を削られてしまった。先生、お願いですから、歯を削りながら「なんだこりゃあ」とか言わないでくださいよ。
マランゴニ対流が武術の流派にしか見えないので困っている。「マランゴニ対流奥義――ナヴィエストークスイクエイション!」そりゃ確かに奥義だわ。
ちんたら走って帰った。51分。新しいランニングシューズが欲しい。
「投影という現象は『私が悪いって言うの?』『僕が言ってるんじゃない。君が言ってるんだ』に尽くされる。他人に向かって『落ちるなよ』と言うひとは、きっとタイトロープダンサーなのだろう」と監督が言っている。また乱暴なことを。あなたが投影的なだけですよ。
小雨が降っていたが、無視した。おまえのような小物に用はない。去れ。
会社に行く。
仕事をする。ゴールは見えないけれど、やるべきことは分かっている。やる気さん、やる気さん、どうかあと三週間だけがんばってください。
The new iPad が発表された。Apple TV も刷新されたそうだ。どちらも欲しいけど、夏の旅行にも備えないといけない。お金は有限だから楽しいのさ。
夜の散歩に出掛けたところ、猫を五匹見掛けた。啓蟄だろうか。
自分の二度寝防止策は極めて単純で、iPhone を机の上に置く、それだけである。アラームを止めるには寝室を出ないといけないわけだ。なお、曲は「喜びの島」のラストである。他にもレーガーのモーツァルト変奏曲の第二変奏や、ビュッセル編の小組曲のバレエをご用意しておりますお客さま。
雨であった。どんどん証拠が流されていくよ。ルンゲ警部も流されていくよ。
会社に行く。
ガンガン仕事をした。ロスタイムにメールを書く。来週は打ち合わせだ。
同期の送別会であった。笑った笑った。息が苦しくなるくらい笑ったよ。
猫は、その自由気ままな印象のために、社会からのアウトサイダーとして象徴的に描かれることの多い動物だと思うし、そういうところが我々に猫への愛情を抱かせる遠因になっているのだろうけど、実際のところは、飼い猫も野良猫も、我々と同じように、とても社会的で世俗的な生物に思えてならない。彼らは常に他の生き物の存在を強く意識しているし、同族間には愛もあれば憎しみもある。人間とは形は違えども、彼らは社会を持ち、他者との関わりの中で生きている。福満しげゆきは、世捨て人のようなホームレスの人々も、俗がましい社会を持っていることを痛烈に描いた。アウトサイダーになるのは簡単なことではない。
読んでた。
相変わらず面白かった。終わってしまってとても残念。施川ユウキに「見たことがないものを見せてくれる」能力があることはよく分かっているので、もっと漫画原作者をやったらいいと思いますよ。いつの日か、映画を作ってくれたらいいなあ。
「さっきよりもいい人」 - これはいい。ありがちなループものでありながら、伏線回収がうまく、なかなかトンチが効いている。ただ、ループものはどうしても冗長になりがちで、そこはこの話でもうまく処理し切れているとは言いがたい。最後の二段オチは愉快でいいね。
「これ……見て……」 - つまらない。トリックは見え見えで、少年の立ち位置も中途半端、冒頭もうまく機能していないし、オチは苦し紛れだ。しかし、戸田恵梨香のキモかわいさ無双だけは実に素晴らしかった。こっちの方がホラーですよ。
「日の出通り商店街いきいきデー」 - 素晴らしい。あまりの素晴らしさにこれはもう解説不能である。つーか、筒井さん、なにやってんですか。なんで町医者なんだ。おまえは文豪キャラでいいだろ。
「透き通った一日」 - つまらない。なんという凡庸極まりないお話。友達の陰口も先生の不倫も殺人の動機も、すべて完全に想定内だったよ。でも、でもね、最後のオチ。これだけは嫌いになれない。こういうのを堂々とやってしまうところは実に素晴らしいと思います。
「フラッシュバック」 - これもつまらない。全員飴舐めと階段描写くらいしか光るところがなかったぜ。それにしても、この番組、こういう話がほんと好きですね。そんなに需要があるのだろうか。
というわけで、今回はいまいち。前回が結構良かっただけに、期待しすぎてしまったのかも知れない。
天気はスコーンと突き抜けてしまった。どこか遠くに行きたくなってくるね。ミシディアとか。サマンオサとか。たけとりのむらとか。マジカントとか。
会社に行く。
走って帰るつもりだったのに、ウェアを忘れてきてしまった。愉快な自分だ。
先日、テレビから音楽が聞こえてきたとき、「曲名は思い出せないけど作曲はサティのはず」と思ったので、「サティ サーカス」でググったのだけど、正解は「ピカデリー」であった。ということは、自分の頭のどこかでは、ピカデリー・サーカスが眠っていたのだ。ピカデリー・サーカスはサーカスじゃないよ。
夏にフィンランド経由でスイスに行けたらすてきだなあ。美しい森と美しい山を歩きたい。そこに行ったときの自分の心が知りたい。
闇を歩き、岩を砕く。放射性廃棄物の巨大地下墓場と名高いオンカロの話でした。こんなのラストダンジョンだろ。絶対サルーインとかいるよ。
放射性物質の放射能が減衰するには十万年を必要とするため、その間に何者もオンカロに立ち入らないようにするための方法をひたすら議論するわけです。しかし、「入るなよ! 絶対に入るなよ!」って言われたら、かえって入りたくなるのが人情というものであるよなあ。人という字が人と人とが支え合って出来ているのなら、入るという字もまた人と人とが支え合って出来ているのです。なんだそりゃ。いや、だからそういうことだよ。
どんなにエコロジーやサステナビリティに興味関心がある人間だって、十万年後の世界を想像するのは簡単なことじゃない。確かに人間は、自分の知らない場所と時間を生きる人々の受益となるように、ささやかな功徳を積むことができる。リーマンは、まだ生まれてもいなかったアインシュタインのために、人類で最も美しいプレゼントを残した。でも、リーマンが死んでからアインシュタインが生まれるまで、その間はたった十三年しかない。
十万年後はあまりにも遠い。自分に思い描くことができるのは、せいぜい千年後くらいまでのことだ。その頃には核融合発電も実現しているだろうか。ラヴェルが聴けるといいね。カンディンスキーの絵はまだあるかい?
晴天。喉がふがふがしている一日であった。花粉のせいだろうか。
会社に行く。
自分が未だに「嫁」という言葉が苦手なのは、家父長制の根強いド田舎の地域文化で生まれ育ったことに関係しているのだろう。家父長制は、男女の機能的差別を前提とした仕組みであり、その差別性を男女双方に内面化させることにより完成する。家制度の崩壊や生活様式の近代化により差別が薄れていっても、旧態依然とした家父長制の罪深さを人々が自覚するようになっていっても、それでも未だに差別の残滓は田舎社会のあらゆるところに潜んでいた。自分はその差別性を見て育ち、その差別性に驚いて育ち、そしてその差別性を憎んで育った。残念ながら、自分はそういう人間だ。
レストランにそれなりに行くようになった得た知見は、料理が素晴らしいレストランは接客も素晴らしい、ということだ。
敬人尊野蛮!
あの名言が読みたくて読んでしまいました。
肩書 所得 マイホーム 出身校 家柄 名声
そんなもの全て捨て去ったところに
男の値打ちがある!
いいこと言うねえ。「生まれた所や皮膚や目の色で一体この僕の何が分かるというのだろう」。みんな同じ条件なら、おれの方が有利だぜ!
そんな由比正雪がサイバーシティ神都で金井半兵衛や丸橋忠弥とともに石原都知事とか松平伊豆守信綱都知事とか中曽根総理とか徳川御前とかとマジバトルしちゃう超カッコイイ漫画でした。頭痛がしてきたって? 読めよ! 治るから!
ラストバトルがいいんですよ。ラスボスが洗脳攻撃を使ってきて由比さんの精神をあっさり浸食しちゃうわけ。それでも由比さんは屈服しないのね。なんでだと思う? 由比さんには刺青があるからだよ! 脳に心があるというのなら、刺青にだって心があるんだよ!
一番熱いのは「友情×1」。一番笑ったのは、分身の術を破るシーンね。
「ど どうやって見破った…」
「そ そうか水面に…」
「勘。」
由比さーん! みんなの面目丸つぶれですよ。もうちょっと空気を読んだらいいじゃないですか。
晴天である。洗濯をして、布団を干す。午前中に下北沢に行き、カルディとオオゼキで食材を買い込んだ。部屋で昼食を取り、ピアノを弾いてから、電車で東松原に行き、羽根木公園を通り、梅ヶ丘まで歩いた。Les Traces de MA でケーキを買い、バスに乗って帰る。
昼食は、牡蠣のトマトソーススパゲッティ(牡蠣、タマネギ、ズッキーニ、マッシュルーム、オイルサーディン)、パプリカサラダ(パプリカ、マッシュルーム、生ハム、オイルサーディン)、キャベツクラムチャウダー(缶詰のクラムチャウダー、キャベツ)。夕食は、豚肉の生姜焼き(豚肩ロース、タマネギ、長ネギ、シイタケ)、お味噌汁(ニンジン、長ネギ、シイタケ、キャベツ)、餃子(焼いただけ)であった。
正気を失ってしまいそうな天気であった。そうそう失わないと思いますよ。
会社に行く。
三年前にもラジオでフランス語を勉強していたのだけど、あの頃と今とでは決定的に異なることがある。そう、我らが「らじる★らじる」の存在である。というわけで、radika を導入して予約録音することにした。もう CD を買わなくていいなんて夢のようだ。ありがとう二十一世紀。ありがとう日本放送協会。
愛と情熱とインターネットさえあれば、一日十円程度で快適に語学の勉強ができるのだから素晴らしい世界である。技術は人間を豊かにするよ。
新しい音が思い付いたのでピアノに向かう。四拍子と三拍子が混ざったり、メロディがトリルになったりする。メモを取るべきだろうか。
晴れたり曇ったり。DEAN & DELUCA のバゲットをちぎって、温めておいたカマンベールチーズをのせる。どうして赤ワインがないのだろう?
会社に行く。
そうだ、四月になったらナショナル・ジオグラフィックの定期購読を申し込むことにしよう。自分は今の自分以外の何者かになりたがっているのだ。「そんなに今が不満かい?」「上を見るのが好きなんでね」
自分のばーさまは毎日、本を読んでいた。「カラマーゾフの兄弟」を読んでいることもあれば、山縣有朋の伝記を読んでいることもあった。彼女は大正時代の終わりに生まれ、人生の九割九分を田舎の狭小な世界で過ごした。そこは僕の両親さえ普通高校には行けなかった世界で、ばーさまも当然ながら高い教育は受けられなかったはずなのだけど、彼女は自らの努力によって血肉を身に付けることの重要性を微塵も疑っていなかった。いつか餓えて死んでしまうのが嫌なら、いま目の前の食べ物に手を伸ばすしかない。そういうことだ。僕はその姿から多くを学んだように思う。これもひとつの継承だ。
夏はフィンランドとスイスに行きたい。グリンデルヴァルトやクライネシャイデックを歩きたい。ツェルマットは遠いだろうか。
雨が降っていたので傘を差した。松尾芭蕉は間違っている。「五月雨をあつめて早し最上川」には「必殺!」をつけるべきだ。「必殺! 五月雨をあつめて早し! 最上川! 字余り!」いやなんかもういろいろすみません。
会社に行く。
両親が来ていたので家族で昼食を取る。弟が新型 iPad を持っていた。
以前友人と話したことだけど、大学の知り合いは、僕の知る限りほぼ全員が「親も大卒」だった。僕たちの親世代の大学進学率は二割程度のはずだから、やはりあれは社会の上澄みにある特殊な世界だったのだろう。それが良いか悪いかはともかく、その強烈な格差の存在は、「人間は、鋼の意志と、不断の努力と、灼熱の情熱さえあれば、どこにでも行ける」と素朴に信じていた自分にとって、少なからずショッキングだった。もし僕の信じていることが正しいなら、どうして世の中はもっと「かきまざって」いないのだろう? なあ、今は江戸時代じゃないんだぜ?
「世間知らず」は醜い罵倒句だ。自分の世間の優位性が前提となっている。きみ、バングラデシュの世間をどれだけ知ってるわけ?
知ったかぶりが大好きなので、マミさんがお茶を入れたところで「放課後ティータイムかよ!」と思いました。「けいおん!」のことは「女の子たちが、なんか、ギターとか弾いてる話」くらいにしか認識していません。あの子たち、ちゃんとスタンド使えるんですか? どんな死亡フラグが立つんですか? 時空系ラスボスとかいるの?
それはいい。あの、これ、主人公ほむらちゃんじゃないですか。ほむらちゃんがあと二十周くらい地道にレベル稼ぎを繰り返してエンカウント魔女をすべて一人で倒すことでマミさんとさやかちゃんと杏子をうまいこと温存しておけばワルプルギスの夜を全員野球で戦えたんじゃないの? マミさんが油断したりさやかちゃんが堕ちたりクリフトがメガンテしたりするたびにリセットボタンを押すわけですよ。キー、またダメだったー! なんでコンピュータはバントでホームラン打てるわけー!? まどかは一ヶ月ほど檻にでも閉じ込めておけばよろしい。
それはいい。全体を通して、とてもよくできた話だったと思います。数々の伏線を張り巡らせておくことで、かつ設定を巧みに忍ばせておくことで、見事な謎解きカタルシスが得られるようにしてある。最終話が「奇跡が起きて万事解決」だったらどうしようと心配していたのですが、杞憂に終わって本当に良かった。キュゥべえの設定も良かったですね。ただ言い回しはもうちょっと簡潔かつ知的にできたんじゃないでしょうか。これじゃただの嫌な奴だよ。
素晴らしかったのは魔女との戦いの演出。これには第一話からやられました。これだけでも見る価値があったよ。劇場版もあるんですね。映画館まで行くかどうかはともかく、もちろん見せていただくことにします。楽しみだ。
韓国と日本と香港の三人の映画監督による作品集。どれもけっこうグロいので良い子のみんなは見ちゃだめ! め!
"cut"
またまたパク・チャヌク・ワールドが始まったぜ! おまえはほんと職業変態だな!
チャヌク・ワールドに欠かせないものといえば、皆さんお分かりですね、そう、監禁、流血、復讐です。この実に四十分ほどの作品にはその三要素が見事なまでに詰め込まれています。復讐のために監禁が行われ、監禁のために流血が起こり、流血のために復讐が始まる。パク・チャヌクの世界観がよく分かりますね。雨にぼんやり滲む赤信号を眺めながら、彼女はステアリングの上に両手を重ねた。この子はどうしてこんな子に育ってしまったのかしら。
基本的には「ひどい話もあったもんだ!」なので、そこまで評価する気にはなれません。冒頭のピアノのシーンで、押した鍵盤と鳴った音が全然違うのには辟易しました。てめえこのおれを誰だと思ってやがる。チャヌクさん、神は細部に宿るんですよ。あなたは徹底したこだわりを持つ超凝り性の職業変態さんなんだから、そういうところで手を抜くのは絶対にだめです。
"box"
三池崇史は初めてのはず。済みませんね邦画をあんまり見ないもので。
あらすじ。むかしむかしあるところに、双子の姉妹と手品師の男が住んでおりました。三人はいつも見事な芸を披露して、わずかな観客を感心させていました。しかし男は姉のしょうこちゃんをかわいがってばかりで、妹のきょうこちゃんはいつも寂しい思いをしていました。ネックレスをもらえるのもしょうこちゃん、手品師と一緒に眠れるのもしょうこちゃんです。その悲しみから嫉妬に駆られたきょうこちゃんは、ある日、つい魔が差してしまい、しょうこちゃんを閉じ込めてしまったのです。ところが。袋を持て! 穴を掘れ! 何もかも焼き尽くせ! という夢を見ました。
幻想的な話でした。手品のシーンと人形のシーンが素晴らしかった。あとは、まあいいや。オチはほんとしょうもない。いや、確かにね、ここまで引っ張っておいて、オチなしに終われる話じゃないですよ。でも、もうちょっとやりようってものがあったんじゃないでしょうか。例えば? 例えば、ほら、あの仕事部屋はあの箱の中にあるとか。
"dumpling"
タイトルの dumplings とは餃子のこと。最高の餃子を求めてボロマンションに住むメイ婆のところにやってきた元女優のリーさんが、メイ婆の思い出話や故郷の童謡や白菜多めの餃子や白黒記念写真によって心を揺さぶられ、人生に置き忘れてきた大切な荷物を取り戻していく、こころあたたまるハートフルストーリー、だったらどんなに良かったことか。良かったことか!
最高の餃子の正体は悪意演出のせいですぐに分かりましたが、 そんなことはどうでもよろしい。別に意外性を求めて映画を見ているわけでもあるまいて。じゃあ何を求めて見ているの? そうねえ、素敵演出とエロシーンかな。また適当なことを!
餃子の正体がオチではなく、餃子の正体の正体に繋がり、そこからリーさんとメイ婆、両方の話が膨らんでいくのが面白い。こうしてこの世に魔女が誕生するわけですね。やっぱ舌ですよ舌。
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