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曇りであった。だいぶ涼しくなってきたね。冬への支度を始めないと。
会社に行く。
「フォーレを聴いていると『器用だなあ』と思うし、ドビュッシーを聴いていると『かわいいひとね』と思うし、ラヴェルを聴いていると『おまえって、ほんとネチネチしてんのな!』と思うよ」「ラヴェルに何か恨みでもあるんですか?」
「いやね、個人的には、竹を割ったような性格の人間に、『スカルボ』が作れるとは思えないんだよ。実際さあ、ラヴェルにデスノートを渡したら、六人組を皆殺しにするんじゃない?」「ラヴェルに何か恨みでもあるんですか?」
「うまく片付けられた部屋には、アフォーダンスがある」というフレーズを思い付いた。思い付くだけなら葦にだってできる。
特集は、イースト・ロンドン物語、追跡! 稲妻発生の瞬間、米国先住民の苦闘と希望、シロカツオドリの勇姿、チベット高原の“金”。
オグララ・ラコタ族の話がとても面白かった。知らないことを知るというのは素晴らしいことだ。
「米国政府は先住民の根絶と同化をめざし、私たちと交わした条約をことごとく破りました」と、ホワイト・プルームは語る。「馬を奪い、言語を違法とし、儀式を禁じました。100年近くの間、宗教的な儀式は人目を忍んで行わなければなりませんでした」
「それでも、儀式は受け継がれ、言語は守られてきたのです」と彼は話す。先住民の宗教的な儀式や慣行を妨害する行為が違法となったのは、1978年に連邦議会が「アメリカ・インディアン宗教自由法」を制定してからだ。
2009年12月にバラク・オバマ大統領が署名した「2010年国防歳出予算案」に詳しく目を通すと、そこには「米国市民が先住の人々に行った暴力、虐待、義務不履行の多くの事例に対し、すべての先住の人々に」公式に謝罪するという文言がある。ただし、賠償や条約の履行については、いっさい述べられていない。
自分はどうしても同化政策に弾圧された先住民にシンパシーを抱いてしまうよ。この国の歴史にもいろんなことがあったわけだ。
今回は NATIONAL GEOGRAPHIC SPECIAL 「森を活かす」もついてきました。柳生博の家には「男の子は13歳になったら一人旅に出なさい」という家訓があるそうですよ。カッコイイなあ。おれだったら青森に行くよ。
もう別にそこまで歪みでも笑いでもないよね。「獅子取編集長と愉快な仲間たち」でいいじゃないですか。スライディング土下座はハマーのジャンピング土下座へのオマージュですよ、ええ、間違いありません。
地味に素晴らしかったのは巻末広告。だって唐傘ザンゲと寒川心五郎先生が第135回直本賞で夢の対決をしてるんですよ? おれの中の寒川先生は、世にも奇妙な物語の「自殺悲願」に出てきた山崎努なので、「寒川先生、早く自殺しねえかなあ」と思いながら読んでしまいました済みません。
熱海圭介は相変わらずキャラが立ってるなあ。ビンタしたくてしかたないぜ。
「まるで貞子のバーゲンセールだな」
〜 貞子 3D について、ベジータ
それは「貞子ってさあ、テレビから出てくるじゃん? あれを 3D でやったら面白くね?」「ハナブサさん、それ、マジサイコーッス!」という会話から始まったわけではないんでしょうが、悪い冗談としか思えない映画「貞子 3D 」でありました。だが、それでいい。こんなネタ企画にでもしない限り、こうやって貞子の新作が見られるわけないじゃないか。「おれたちの貞子に再会するには、こうするしかなかったんだよ!」「ハナブサさん……!」
それはいい。全体には「え? これ笑うところだよね?」と言いたくなる場面満載の B 級ホラーで、蟲蟲貞子大発生をイヤボーン解決にはくらくらしましたが、ニコ動生放送や 404 エラーはなかなか良い発想だと思います。
お見事だったのは、茜が北山さんを助ける一連の流れ。北山さんがかつての茜の飛び降り自殺をトレースし、かつて孝則に助けられた茜がその北山さんを助ける。助けられた北山さんは、一瞬だけ茜を拒絶するものの、すぐに茜の存在を受容する。そこから茜が決戦に挑むことを決断する場面につながることは、もちろん偶然ではないでしょう。良いシーケンスです。
しかし仲間由紀恵の次は橋本愛かよ。貞子はどんどん美人になっていきますね。今春が来て君はきれいになった。
会社に行く。
iPhone で音楽を聴いていたらプチプチノイズが聞こえてきたので、「 CD の取り込み時にエラーでもあったのかな?」と思ったのだけど、CD をコンポで再生しても同じノイズが聞こえたのでノープロブレムである。本当に取り込み時のエラーでそんなノイズが生じるものなんでしょうか。
「こんなものは文学ではない」「ではどのようなものが文学なのですか?」「決まっているだろう。友達に『おれこの本読んだぜ』と自慢できるのが文学だ」「じゃあ僕が読んだ文学作品なんて『虚航船団』くらいのものですよ」
リストの巡礼の年第2年補遺を聴く夜である。ボレットは本当に余裕綽々で弾いてくれるなあ。タランテラはカッコイイよ。
またしても良い天気であった。しっぺい返しがあるのではなかろうか。
会社に行く。
病院に行ってきた。今日は簡易的な検査のみ。薬をいただく。
普段、クルマではカセットアダプタで音楽を聴いているのだけど、ノイズがひどいのでなんとかしたい。カーオーディオ自体を取り換えるのはさすがに大変なので、まずは安物の FM トランスミッターでも試してみようか。
先日のスピリッツの「闇金ウシジマくん」に、「ハイアーセルフ」という用語が出てきたのでググったところ、すぐに私の中の少佐が「ネットは広大だわ」と呟くはめになった。ハイアーセルフって、要するにあれですよね、クリリンがフリーザに殺されたとき悟空がなったあれのことですよね。「し、信じられん………………。ま、まさか、あ、あのハイアーセルフがこの眼前に……」「知っているのか雷電!?」「うむ」
ヴァイスに起こされて戸を開けた。君の言いたいことはだいたい分かるよ。
会社に行く。
韓国の方と一緒に食事を取ったので、予定どおりパク・チャヌクの作品の話をした。イ・ヨンエは間違いなく美人さんです。
"I don't have to pick up this luggage at the airport in Turkey ?" と聞いて "No !" と答えられると、一瞬わけが分からなくなりませんか。日本人は相手に同意するときに「いいえ」と表現する機会に恵まれていないわけで、ノーと言えない日本人っていうのはつまりそういうことだったんだよ!
今年も「そりすべり」を口ずさむ季節が来た。どんだけ気が早いんですか。ホーホーホー、良い子のみんな、メリークリスマス!
晴天である。秋はこうでなければいけない。
午前中は部屋の掃除をして、クルマでオオゼキに行く。部屋に戻ってから、クルマのキズをコンパウンドで磨いた。近所の公園を散歩する。昼食はてんぷらそば。
午後はクルマに乗って、中野坂上に寄ってから、カーコンビニ倶楽部と日産のディーラーに行ってきた。見積もりが全然違うねえ。それから麻布へ。ナショナルでお菓子を買ってから、有栖川公園を散歩する。さらに東京ミッドタウンに行き、檜町公園を歩いて、無印良品で座布団を買って帰った。
夕食は簡単プルコギ。プルコギはうまいです。
夜、自転車で渋谷に行き、Hatch でメガネの調整をしていただいた後、ブックファーストで筒井康隆を衝動買いした。そんな夜だ。
事前知識ゼロで衝動買いしたので、そりゃあこっちはフルガード構えながらにじり寄るように読むわけですよ。だって、あなた、筒井康隆の推理小説ですよ? 嫌な予感しかしないでしょ?
「実はロートレックの絵は全部パントマイムでしたー!」なら、まだ全然マシなオチだと思う。
「犯人はすべての物語に終わりをもたらす殺し屋でしたー!」でも、しかたない。好きにしなさい。
「この世界にはタイムマシンというものがあってだな!」うん、まあ、生きていればそういうこともあるよね。あまり気にしない方がいいよ。今夜はゆっくりおやすみ。ホットミルクでも用意しようか?
それはいい。ところどころで「ん?」と違和感があって、「おれの読み方がおかしいのかな?」と思っていたら、謎解きの一行ですべて解決したので完全に参りました。これは凄い。お見事。想像していたよりも二百倍くらいフェアでした。
「筒井康隆なのにフェア? じゃあなに、古新聞の回収車とか出てこないわけ?」「うん。出てなかった。おれも安心したよ」「えー!? 本当に古新聞の回収車が出てこないの!? ちょっとネタバレやめてよ!」「あ、ごめんね」
会社に行く。
自分は「ねたみそねみ」というものにいまいち切実な実感が持てないので、そういうものが動機付けとなり得るということに新鮮な驚きを覚えてしまう。「隣の芝生は青い」とはよく言ったもので、適度に想像力を発揮して自他を相対化していれば、そういった錯覚の九割方は解消してしまうと思うのだけど、あるいはそのように無自覚に「不幸になりたがる」才能こそが、生存適応には有利なものだったのかも知れない。あのねえ、スパンドレルって知ってる? いい歳してグールドもちゃんと読んでないわけ?
小さい子どもは他の子どもが遊んでいるおもちゃを欲しがるものだけれど、そこにも何らかの必然的な理由があるのかも知れない。
天気は良い。夕方はとても美しい夕焼けを見ることができた。でかい。
会社に行く。
変化に対応した生き物が生き残るというよりは、たまたま生き残った生き物に事後的に「変化に対応した」というラベルが貼られてしまうのだろう。こういう観点に立つと、ダーウィンが言っていないことで有名な「この世に生き残る生き物は(中略)変化に対応できる生き物だ」というフレーズも、なかなか興味深く思えてくる。なるほど、確かにこの世に生き残る生き物は変化に対応できる生き物かも知れない。しかし、どうやったら変化に対応できるのかは、実際に生き残ってみないと分からないのだ。
自分はかように「物事の善し悪しは(もしできたとしても)事後的にしか判断できない」という価値観を持っている。おれは塞翁だよ。
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