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古式ゆかしいフレンチ・スプラッター・ムービーでした。人里離れた民家! 錆び付いたトラック! 溢れ出す血液! ガソリンスタンドのトイレ! 森の中の死闘! そりゃテンションも上がるぜ! うるさい。
基本的にはそういう、殺人鬼と主人公とのよくある鬼ごっこ映画だったわけですが、問題はオチ。このオチに関してはいろいろ意見があって然るべきで、例えば施川ユウキはこのように呟いています。
DVDで「ハイテンション」観た。ここまで辻褄を合わせるつもりの無いどんでん返しは、初めてかもしれない。オチ以外は凄く良い。
同感です。しかしこれで「辻褄が合ってない」とか「フェアじゃない」とか言ったところで、きっと誰かを喜ばせるだけなのでしょう。貴様らがいま立っているところは我々が三千年前に通過したところだ。こまけぇこたぁいいんだよ!!
そこで思ったのは「もしも『姑獲鳥の夏』に京極堂が出てこなかったら、あのトリックは全然納得できないものだったんだろうなあ」ということ。この映画のオチもなかなか納得できないわけだけど、それは単に憑き物落としがないからなのかもしれない。憑き物落としがあればなんでもできる。
ところで、序盤で主人公が音楽を聴き始めるシーンでは、笑ってしまいましたよ。別に笑うところじゃない。笑うところじゃないんだ。
フランス語の先生に勧められたので。これはとてもいい。王(ジャイアン)と鳥(ドラえもん)と小犬(ムク)と小鳥たち(ミニドラ)と絵描き(のび太)と家臣(スネ夫)と少年(出来杉)と少女(しずかちゃん)とライオン(かっこいい)とホッキョクグマ(かわいい)が出てくる映画でした。あまりにすてきな映画だったのでおれのなかのミルクチャンがハートマークを飛ばしながら「すてきー!」と言っているぜ!
(ミルクチャンの「すてきー!」をご存知でない方はこちらをご覧ください。見てくださいこのうれしそうな死に顔。あなたはこんな顔で死ねますか?)
この映画でうまいなあと思うのは、冒頭の五分間で王と鳥の因縁が示されながらも、決して復讐めいた話にはならないところ。なるほど、復讐は親切なクムジャさんをケーキ屋のパティシエにしてくれるかもしれない。しかしその背徳の甘い味わいも、文明堂のどら焼きの前には霞んでしまうものなのだ。お嬢さん、悪いことは言わん、復讐なんか止めてどら焼き食いなされ。どら焼きと栗まんじゅう食いなされ。バイバインかけて食いなされ。
自分が「銀河鉄道の夜」やら「魔女の宅急便」やら「スヌーピーの大冒険」やらを何十回も見ていたように、フランスの子どもたちがこの映画を繰り返し繰り返し見ていたのかと思うと、いろいろ感慨深いですね。自分がフランスの子どもだったら、毎日学校から帰ってきてはビデオを再生していたに違いない。子どもはそういう繰り返しの中から世界を学習するものです。
音楽がどれも素晴らしかったですね。ロワゾーパパの子守歌、いいなあ。これは歌いたくなるよ。"Dormez, dormez, petits oiseaux."
安いお菓子も、安くないお菓子も、大好きです。一年間、お世話になりました。
タイトル : 月めくり日記
サブタイトル : 冬を越せないキリギリスは、ただのキリギリスだ。
マルコは空を飛んだ。僕は冬を越そう。
「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ! なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ……!! 自分の利益だけのために利用する事だ…」
ほんとですね。スティッキィ・フィンガーズでボコボコにしてやってください。
というわけで、ジ・エレファント・マンと呼ばれた男、ジョン・メリックの悲しみと友情と絶望としあわせの物語でした。ラストは予想していたとおりであったよ。うん、いい話じゃないですか。うらやましいとさえ思ってしまった。
ところで、アンソニー・ホプキンスがあまりに若くてびっくりしてしまったよ。なにこのイケメンエリート医者。人殺しじゃないホプキンスなんてホプキンスじゃない! 「また始まったよ」「このド低脳が」「『日の名残り』でも見てろ」
これは素晴らしい。「まんが日本昔ばなし」じゃないですか。
"La Princesse des diamants" 「ダイヤモンドのお姫さま」(直訳。以下同じ)
お姫さまを救い出すには砂時計とダイヤモンドの試練を乗り越えなければならない。少年は自分にはその力がないことを知りつつも、試練に挑戦せずにはいられないのであった。
急展開に「ええ? なんで?」とか言ってはいけない。無粋な真似は嫌われますよ。心の美しい者は救われるのです。
"Le Garçon des figues" 「イチジクの少年」
奇跡のイチジクを手に入れた少年は、それを女王さまに貢ぎ物として差し出し、望外の褒美を手に入れる。それをこころよく思わない行政官は、げに恐ろしき陰謀を企てるのであった。
笑った笑った。うん、まあ、「イエー!」と言ってしまったよ。ほら、みなさんも、ホラー映画の序盤でカップルがゾンビに襲われたとき、「イエー!」って言ってしまいますよね? 一アメリカンとして言ってしまいますよね?
"La Sorcière" 「魔女」
誰も攻め落とすことのできない堅牢無比なる魔女の城。どうすれば城壁を乗り越えて城内に入り込むことができるのか、少年は木の上でひたすら考えるのであった。
白眉。すてきな話だ。下劣な輩は腹を切って死ぬべきであるね。
"Le Manteau de la vieille dame" 「老婆の肩掛け」
日本の老婆はド S であった。
笑わせていただきました。これは楽しいなあ。まさに由緒正しい「まんが日本昔ばなし」であったよ。吹き替えにすればそのままあの番組で流れていても何の違和感もあるまい。
"La Reine cruelle et le montreur de fabulo" 「残酷な女王とウタドリ遣い」
冷酷な女王と結婚するためには、女王と勝負しなければならない。しかし、女王の持つ無敵装置の前に、女王に勝てる者など、世界のどこにもいるわけがないのであった。
今度は SF 。オチなんてどうでもよろしい。ウタドリの美しい音に癒されましょう。
"Prince et princesse" 「王子さまとお姫さま」
めでたしめでたし。……で?
まあ、めでたしめでたしで終わるわけないんですよ。生きてるんですから。いろんなことがあるんですから。それもまた人生の素晴らしさのひとつでしょう。
やはり音楽が素晴らしかった。フランス人はずるいなあ。
あらすじ。マーちゃんはヤクザに、シンジはボクサーになろうとしましたが、結局のところ、どちらもうまくいきませんでした。持っていたものは失われて、手に入れたものも失われました。それでも二人は生きていかないといけません。神学校を退学になってしまっても、デイジー・ブキャナンに裏切られてしまっても、双子がバスに乗っていなくなってしまっても、わたしたちは下を向いて目を閉じたまま、生きていかないといけないのです。あらすじじゃない。
シンジの美しいまでの強さがどんどん煤けてベタベタに汚れていくところを見守る悲しい映画でした。だからといってハヤシを断罪する気にもなれない。汚れてしまった人間には汚れていない人間の存在はあまりにもまぶしくて、汚してしまわないことには目がつぶれてしまうのでしょう。わたしたちにできることはひとつだけ、ハヤシに近寄らないことだけです。
ところで、事故のシーンでは、たいへん申し訳ないことに、吹き出してしまったんですよ。不謹慎極まりない。ほんとごめんなさい。あれ、絶対にギャグシーンだと思ったのに。
十年振りくらいに見ました。懐かしいことこの上ない。ほんと思い出は逃げ込む場所じゃないですよ。
あらすじ。宇宙遭難船を発見したイワノフ(船長)と青島(オタク)とハインツ(主人公)とミゲル(バカ)の四人。遭難者の救出に向かうことにしたハインツとミゲルの二人を待ち構えていたのは、薔薇とオペラと絶望に包まれた恐怖のヤンデレワールドであった。
ヤンデレは一途だから許されるんですよ。節操のないヤンデレなんてね、ベホイミが使えるどくどくゾンビみたいなもんですよ。
「最臭兵器」 "Stink Bomb"
中央自動車道イン山梨がフルボッコにされていく楽しい楽しいお話。決戦は小仏トンネル。死んでも高尾山を越させるな!
バイオハザード -> 花咲じいさん -> 弾幕射撃 -> パワードスーツ -> イヤボーン、と急展開が素晴らしい。無理があるのは誰だってよく分かっている。こんな話にツッコミを入れる方が悪い。
「大砲の街」 "Cannon Fodder"
みんな大好き大砲の街。小さな歯車がたくさん集まれば、いつかは巨大な大砲だって撃てるものさ。撃てや撃て、力の限り、街のため。
ほんといいですよねこれ。気分は FFVII ですよ。二泊三日で旅行したい。
曇り。曇りには勝てるよ。絶対に勝てる。余裕で勝てる。15-0 で勝てる。
会社に行く。
久々にホロヴィッツの弾くモシュコフスキを聴いた。練習曲ヘ長調 Op.72-6 はやはり素晴らしい。ペダルなんか踏んだら台無しですよ。
そういえば一昨日のフランス語のレッスンで、生徒が「銀河鉄道 999 は知ってますか?」と聞いたところ、先生が「知ってる知ってる、あの登場人物が猫のやつでしょ?」と答えてきたのでテンションが上がりました。なんで杉井ギサブローを知ってるんですか。あなた本当にフランス人なんですか。
「日本の漫画だと、フランスではサンサイヤが人気だよ!」「サンサイヤって何ですか?」「 Saint-Seiya だよ!」「なるほど」
途中まではとても楽しめたのだけど、期待し過ぎてしまったのか、種明かしで急に白けてしまった自分がいる。なるほど、と膝を叩きたかったんですよ。指を鳴らしたかったんですよ。雷に打たれたかったんですよ。
どうして手を交差させるのかって? そこにガン=カタがあるからだよ。
ガン=カタが見たい一心で見たのですが、ここまで中二病をこじらせた設定も珍しいのでちょっと感動してしまいました。だって感情抑制薬と洗脳ビデオによる近未来的超管理社会において感情なき秩序の維持のためにガン=カタを駆使して反逆者たちを皆殺 C にする第一級クラリックがふとしたことから感情を取り戻すんですよ? ああ、ブラックロッドね。知ってる知ってる。
序盤で「話しかけないでくれ…」「俺…感情がねえんだ…」を思い出してしまったので、それからは登場人物が全員ミサワということになりました。地獄のミサワは本当にいいですね。僕たちの心の奥底の大切なところにあるドス黒い何かをいともたやすく掘り起こしてくれる。
モナリザが焼かれ、詩が読まれ、第九が流れ、ガン=カタが発動し、日本刀が抜かれただけで、自分は大満足であります。"I have spread my dreams under your feet. Tread softly because you tread on my dreams."
回想編前半。これはキツイ。SAN 値が下がりますよ。さみしいのはつらいよねえ。
ナチュラルボーン変質者がさみしいオバケになって世紀末救世主と出会うまでのお話。傑作「僕の小規模な失敗」の前日譚または外伝あるいは解決編なので、面白くないわけがないんですよ。もう面白すぎて逆に涙目になってしまいました。本当に輝かしく美しい金色の何かをどうしようもなく失ってしまったとき、果たしてどれだけのひとが正気でいられるのだろう。
ホームに1人で立っているのに
そんなふうに微笑みを絶やさぬ表情をして……
君は…何か…素晴らしい……
もうだめだ。泣ける。
そんな福満青年の絶望にめまいがしてしまったわけですが、誰だって大昔のことを克明に思い出したら発狂してしまうに違いないのです。闇歴史はしまっちゃうおじさんにしまっていただきましょう。なに、おれには後ろ暗い過去なんかない? おまえの人生はどんだけ薄っぺらなんだ? おぞましくない青春があるとでも思ってるのか? 筒井康隆の「鍵」を忘れたのか?
どうでもいいけど、K 澤さんがところどころで呼び捨てになっていますね。ええ、分かりますよ。
やられた! まさかこんな展開が待っているとは夢にも思いませんでした。完全に油断していたところに 750cc ブチかまされた。だったらイケるぜ!
あらすじ。イギリス人の小説家サラが、フランスの田舎にあるプール付きの邸宅にステイしていたところ、ビッチさんのジュリーが現れたからさあ大変。サラの静かで穏やかな生活は、ボーリング玉が放り込まれたドールハウスのように粉々になってしまいました。じゃあいっそのことみんなでボーリングで遊ぼうぜ! 石を投げろ! 穴を掘れ! 何もかも焼き尽くせ! うるさい。
てっきりサラがこれまでの人生において失ってしまったものを、ジュリーを通じて再確認していく過程を描いた話なのだと思い込んでいたので、後半と終盤の展開にひっくり返りました。「かもめ食堂」の猫を渡されるシーン以来の衝撃ですよ。一方、現実が現実でなくなっていく恐ろしさは「マルホランド・ドライブ」を思わせるので、この映画は「かもめ食堂」と「マルホランド・ドライブ」と「プール」の混血児ということでいいです。「プール」は関係ないよね。「プール」は関係ないよ。
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