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会社に行く。
例えば児童虐待のような社会問題の当事者に対して、非当事者が安全圏から石を投げている構図にはやりきれないものがある。あなたが当事者じゃないのは、あなたに十分な良識や善心があるからじゃなくて、幸運と社会構造を利用して、誰かが引き受けなければならない業を、上手に他人に押し付けているからでしょう。僕だってそうだ。そんなことはよく分かっている。
僕は、痛ましい事件が起きたとき、悲しくはなるけれど、当事者への怒りはまず湧かない。当事者を追い詰めたのが社会なら、僕だって共犯者だ。
自転車で大学の回りを一周した。マンションの前にはいつも二匹の猫がいる。三毛は逃げるけれど、二毛は逃げない。
だいぶ涼しくなったように思う。秋が近付きつつある。寂しいもんだ。
会社に行く。
来週末は久し振りに箱根の温泉に行くことにした。箱根には何度も行っていますが、あそこは山があって町もあっていいところです。いいところに行かないと人生がもったいないぜ。
自分は人生における大切なことの多くを本と家族から学んだ。「ノルウェイの森」で直子が「私たちみんなどこかでねじまがって、よじれて、うまく泳げなくて、どんどん沈んでいく人間なのよ」と言っていたことを思い出す。前にも書いたけれど、自分はただ水に落ちて死ななかっただけのことなのだ。
ピアノが弾きたいなあと思う。今ならもしかしたら Op.1 が作れるかも知れない。曲は前奏曲だな。きっと前奏曲だろう。
特集は、謎に満ちたモアイ、危機にある言語の未来、南極の活火山 エレバス、ロシア 菜園で過ごす夏、荒ぶる嵐の素顔。
二番目の特集がとても興味深かった。第68頁から印象的な段落を引用する。
それでもトゥバ語は少数言語の中ではよく守られてきたほうだ。ともに先住民の言葉である米国カリフォルニア州のウィントゥ語とオレゴン州のシレツディーニ語、オーストラリア北部準州のアムルダク語などは、流暢に話せるか、ある程度話せる人が一人か二人残っているだけだ。ある言語を話す最後の一人になったら、何をつぶやいても理解してくれる人はいない。それはまさに、言うに言われぬ孤独だろう。
果たしてどんな気持ちがするものだろう。ある意味においてそれは特権的な気持ちであるかも知れない。
雨が降った。午前中はクルマでティグレに行き、食パンとクロワッサンダマンドを買い、さらにオオゼキに行く。部屋に戻り、クルマの塗装部分をコンパウンドで磨いてから、近所の公園を散歩した。
午後にはクルマで、中野坂上に寄ってから、丸の内まで行ってきた。東京駅で新幹線を見て、スタバでクランチーキャラメルフラペチーノを買って飲む。部屋に戻り、再びクルマの塗装部分をコンパウンドで磨いた。もうこのあたりで諦めよう。
夕方、代々木八幡の例大祭に行ってきた。いいお祭りだねえ。ホルモン焼きと唐揚げを買って帰る。
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