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 以前からずっと書きたいと思っているのだけど、どうしても書くことのできない小説がある。その小説が頭に浮かんできたのはもう二年以上も前のことで、もしかしたら三年以上経つかも知れない。書いたら誰かに迷惑がかかるような内容ではないし、特別な資料を必要とするような話でもないのだけど、ただ僕にはどうしてもその小説を書くことができなかった。何故なのか今も分からない。ただ不思議とその小説の存在は、決して僕の頭の中から離れようとはせず、しかし僕に書けと命令するわけでもなく、ただ静かに水の底に沈んでいた。喫茶店の隅にじっと座っている客のように静かだった。注文したコーヒーを飲むわけでもなく、本を取り出して読むわけでもなく、自分の存在を主張するわけでもなく、ただ長い足を組み合わせてそこに座っているのだ。僕には何も分からない。何故自分にその小説を書くことができないのか。何故その存在が今も水の底に沈んでいるのか。そもそも客は何が言いたくてここに来たのか。今も僕には何も分からない。僕は冷めたコーヒーを眺める。客は下を向いている。
NegaMinustive
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-7 Sato Nega
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SeNanaven
 親しい間柄の若い男女が歩いている。突然、女の方が立ち止まって屈み込み、靴紐を結び直す。嫌になっちゃうな。どうしたの。靴紐が一日一度、必ずほどけるんだよ、全く。二人はまた歩き出す。しばらく経って、男の方が言う。さっきの、靴紐が悪いんじゃないかな。そうかもね。多分、その靴紐は君には長すぎるんだと思う。数日後、男が女に新しい靴紐をプレゼントする。女は靴紐を取り替えたことなんて一度もなかった。新しい靴紐はその靴によく合った。これでもう結び直さずに済むよ。この古い靴紐はどうしようね。じゃあ僕がもらうよ。彼らは靴紐を交換する。その後、二人の仲が急に疎遠になってしまう。たまに顔を合わせても軽く挨拶を交わすだけ。まあそういうこともあるのだろう、とそれぞれ納得する。それから何年か過ぎたある日、女は古い靴を処分していて、靴紐のことを思い出す。あの長すぎた靴紐のことを思い出す。女は外に出て、走り出す。二時間ほど夜道を走る。靴紐はほどけない。部屋に着く。男は驚いて出迎える。女は息も切れ切れに言う。あのさ、あの靴紐、返してくんない?