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今日も小雨が降ったが、やはり傘を差すことはなかった。
午前中に部屋を出て、電車でみなとみらいへ。パシフィコ横浜に行き、「モンベルクラブ・フレンドフェア」を見てきた。展示を一通り見て、カヤックに乗ったりマグカップを買ったりカレーを食べたり木村大作監督のトークショーを聞いたりしてきました。福引でリフト券を当ててしまったよ。ジェットボイルが欲しいです。
電車に乗って引き返し、世田谷代田へ。完全に地下であるなあ。昔はホームにヤスデがたくさんいたんだけどねえ。ディーラーでクルマを回収する。ファンベルトを交換していただきました。パン屋に寄って帰る。少しだけピアノを弾いた。
第1問。(1)平行四辺形の面積は xysinθ(挨拶)。内積を利用して sinθ を得る。(2) 1=tan(α+β) で加法定理。さらに tanα+tanβ を二乗して tanαtanβ の式を得る。x^2-4x+23/36=0 ってセンスいいなおまえ! 最後も x^2-5/6*x+1/6=0 って懐かしいなおまえ!
第2問。おれの大好物! と思ったらあまりに簡単でふにゃふにゃさんである。(1)も(2)も手垢まみれ。(3)の級数に至っては意図が全く分からない。何がさせたかったの?
第3問。一転してザ・ゴリゴリワールド。(1)(2)に脳味噌は要らない。(3)は変数変換の定石を忘れていたのでそこだけカンニングしました。疲れた疲れた。「積分はもうコリゴリだよー」である。
第4問。意外に手間取ったので自分の弱点がよく分かる。(1)はp,qを極限的に振る舞わせればよろしい。微分は不要。(2)は f(x)<xを 示せば良いのでさくさく計算、天下り不等式を使う。(3)は f(x)-x=g(x) の挙動について調べれば良く、g(0)=0, g(1)<0 なので、g'(0)>0 を示して終了。
第5問。(1)(2)(3)は地道に示す。(4)は、今回、唯一面白かった問題。隣り合うペアは高々 (p-1)^2 とおりしかないから、無限級数のどこかで、あるペアが再現されるわけだ。すると、(3)より、そのペアの隣りもまた再現されたものであることが分かる。それを繰り返していけば、いつか初項にたどり着くわけだ。「 a2, a3 がどこかで再現されること」を直接導こうとしてはいけない。急がば回れだ。
第6問。ひたすら見落としなく地道に計算するだけの問題。Pのx座標をパラメータにして線分PQの式上における(s,t)の振る舞いを観察。tではなく√3*tを評価すると計算が楽ですね。ついついPQを外挿させてしまう自分に気付いたので、たぶん(2)は(1)の検算が目的。(1)は余裕だけど(2)はどうしても解けない、なんてなかなかないだろうし。
なお、解いているときは気付かなかったのですが、第4問(2)の「 f(x)<x を示せば良い」は、ちゃんと説明しないと怒られる系ですね。まあ、連続で単調減少で有界だから収束値があるのは明らかで、0 以外だと f(x)<x に反するからね、うん、しかたないよね。馬鹿め! 引っかかりおったな! 挟み撃ちじゃ!
総評としては、自分が高校生の頃に感じたワクワク感が全くなくて、裏ボスを倒した後に攻略サイトを見てメタルキング狩りをしている気分です。変わってしまったのは自分の方なのか受験の方なのか。もっとさー、絶望感を出して欲しいわけですよ! サラボナにふらりと立ち寄ったときのブオーン戦みたいに!
晴れ。洗濯物もお布団もお地蔵さんもわたしもよく乾きますように。
会社に行く。
「もりのなか」と「またもりへ」はどちらも素晴らしいね。「パンやのくまさん」もそうだけど、間崎ルリ子の翻訳は本当にセンスが良い。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」って言い回しを思い付いた人間は煽りの天才だよね。「いやおれも下積みの頃は大変苦労してだな」「でもそれは別に『買った』わけじゃないでしょ?」まあ、若い頃に気まぐれで「日本国内の全郵便局制覇でもすっか!」と思って、それを苦労の末に達成させたのであれば、その言い回しにも重みがあるというものよ。
週末は今度こそ八ヶ岳に行くことにした。赤岳鉱泉に泊まる予定。赤岳には登らないよ。ピッケルも持ってないしね。
小雨が降ったが、傘を差さずに突っ切った。突っ切るように生きています。
会社に行く。
「マイナスかけるマイナスがプラスなのはどうして?」と聞かれたら「分配則があるから」と説明している。日常生活のアナロジーから数学を「理解」することは、本質的ではなく、時として有害ですらある。「直感的に分かるように説明してください!」「直感的に分かるような学問ではありません」「そんなこと言っているから理系離れが進むんだよ!」「ほんと済みません」
自分はあまり「分かりやすく説明してください」と思ったことがないので、そういう風に言われると困ってしまうね。ナポリタン問題を分かりやすく説明されたら台無しですよ? 「もっと分かりやすく!」「『ナポ・リタン』って古代メソポタミア語で『赤絵具』のことなんだって!」「じぇじぇじぇ!」
天気は悪くない。装備を調えないといけない。チェーンも使うだろうか。
会社に行く。
形式論的には、「小動物を虐殺する個性」も「個性」だし、「他者を中傷する表現の自由」も「表現の自由」だし、「赤子を生け贄に捧げる信教の自由」も「信教の自由」だとは思うよ。今現在の社会において、それらは必ずしも肯定し得ないというだけで。原則論は常に万能ではないよ。
もちろん、原則論を譲らずに、尊重すべきではない個性はそもそも「個性」ではない、制限されるべき自由はそもそも「自由」ではない、という向きもあると思うけど、それって「1か0か」になるよね。どんなもんでしょう。
「三匹のやぎ」も「三匹のこぶた」も「三匹のくま」も「三匹のこねこ」もあるよね。三匹すごい。
なんで原作が宮沢賢治で監督が杉井ギサブローで絵柄がますむらひろしなのに、音楽が細野晴臣じゃないんすか。やる気あるんすか。
あらすじ。
イーハトーヴを襲った「魔の冬」により父母を失うとともに、最愛の妹を連れ去られてしまったグスコーブドリは、テグス工場での修行、オリザ沼での鍛錬、世界裁判所での激戦を積み重ねた末、いつしか学校にたどり着き、クーボー大博士のもとで魔導理論を教わるとともに、ペンネンナーム大技師から暗黒拳を伝授されることになった。
度重なる隣国との衝突においてもグスコーブドリは一騎当千の活躍を見せ、サンムトリ火山では火砕流の危険から市民たちを守るために、イーハトーヴ中の電力を一身に集めた暗黒雷光拳によって一撃のもとに火山幹体を粉砕した。これによりサンムトリ地方の地形は大きく変化し、イーハトーヴ最大の湖「ヴィシュトィネーツ」が誕生、地球の地軸も0.002度ほど傾いたという。
やがて二十七歳になり、またもイーハトーヴを襲おうとしている「魔の冬」の原因がカルボナード火山の異常な活動停滞化にあることを突き止めたグスコーブドリは、長年の因縁に結着をつけるために盟友の世界裁判長とともに火山島に向かう。無敵艦隊との死闘の末、たったひとりカルボナード島に降り立ったブドリの前に立ち塞がるのは、かつて自分助けてくれたはずの恩人、赭髭王であった。
「よう、強くなったなァ、ブドリ」
「なぜあなたがここに」
「いまこの火山に噴火されると困るんだよ」
「何だって?」
「石油が採れなくなっちまう。悪いけどこの火山にはもうちょっと眠っていてもらうことになってるんだ」
「……そのために、そんなことのために!」
「青臭いことを言うなよ。なあ、イーハトーヴのGDPの38%は採油関連産業に由来する。農業なんてそのさらに十分の一にも満たないんだぜ?」
「黙れ! あなたは私利私欲のために大義名分を持ち出しているだけだ!」
「ああそうさ。おれには欲望があり、手を汚したがらない政官民どもがその欲望を黙認してくれている。なあ、オリザ畑だけじゃない。うさぎもダメだったし、甘藍もダメだった。山師から欲を取り上げたら何が残る?」
「あなたのせいでイーハトーヴが『魔の冬』に襲われたんだぞ!」
「まだ分からないのか、ブドリ。これはおまえのためなんだぜ?」
「なんだと?」
「おれの本当の名は『ジョバンニ』。聞き覚えはないか?」
「なんのことだ!」
「おれはおまえの父親だ」
「な、なんだってー!?」
いま明かされる真実! 生きていた義妹! 交わる拳! 飛び跳ねる銃弾! 発動する究極魔法! 噴火する火山! 炎上する油田! 爆発するニトログリセリン! 熱唱する小田和正! どっちもどっちも! どっちもどっちも!
まあ、だいたいそういう話でした。アメニモマケズ、いったいなんだったの?
映画のポスターを見たときは、生物多様性や生態系保全みたいなことのメッセージ色が強いのかと思っていたのですが、そんなことは全然なかったですね。特に、イーハトーヴの街のオーバーテクノロジー描写はとても良かった。クーボー博士の授業はいろいろな意味でひどかったですが、それはそれとして。大袈裟な科白回しは賢治リスペクトでいいね。
「いまや夕べははるかにきたり、我が講もその全課をおえた。諸君のうちの希望者は、けだしいつもの例により、そのノートをば拙者に示し、試問を受けて去るべきである。」
総評としては、残念ながら、名作「銀河鉄道の夜」に比べれば凡作だったと言わざるを得ません。それだけ三十年前のあの映画は衝撃的だったということです。今でもおれにとって石炭袋は死の象徴ですし、蒸気機関車は暴力装置です。カンパネルラ!
天気はとても良い。昨日、目薬を忘れてしまったせいか、目が重たい。
会社に行く。
昨日のスキーは六年振りだったけど、中級者コースをのんびり滑って、別に転ぶことはなかった。そしておれにはやはりスピード狂の血が流れているようだ。なんだかんだ言って、自分は親に似ているのだろうと思うよ。
バッハがいかに凄いかを説明しようとして出てくる言葉が「バロックを終わらせた男」とか「バロック界のリーサルウェポン」とか「格兵器 VS 竹ヤリ」とかなので、おれはもうだめだ。でも板垣バッハの見た目は克巳じゃなくて中期ドリアンだと思う。敗北を知りたくてスカルラッティやヘンデルを強襲する。「平均律は『二集』あったッ!」。それはバキじゃなくてジョジョや。
おれの中の神林しおりさんが「星新一が死んで16年だぞ! 今更文庫化される話が面白いワケないだろ!!」と吠えています。
「ミラー・ボール」を読んで思い付いたこと。以下のようなゲームはどうだろう。
(ルール)
1億人の人間が全員100円ずつランダムにAまたはBに賭ける。
さらに、1億1人目であるあなたが、100円をAまたはBに賭ける。
その結果、「Aに賭けた人数がBに賭けた人数よりも少なかった場合」(a)は、Aに賭けた人間が100億100円を山分けし、「Bに賭けた人数がAに賭けた人数よりも少なかった場合」(b)は、Bに賭けた人間が100億100円を山分けする。
誰もAまたはBに賭けなかった場合は、ノーゲームとする。
なお、本当はもっと賭け対象を増やしてもいいが、ここでは簡単のためにAとBだけとする。
(補題1)
あなた以外の参加者が1億人もいるため、(a)となるか(b)となるかは、ほとんどの場合、あなたの意志決定に関わりなく決まってしまう。実際の選挙における投票行為と同じだ。あなたの意志決定が、(a)となるか(b)となるかを左右するのは、「1億人の人間のうちジャスト5000万人がAに賭け、残りのジャスト5000万人がBに賭けた場合」だけに限られ、そのような確率は100000000!/(50000000!*50000000!)*(1/2)^100000000=約0.0080%である。残りの99.9920%については完全な運否天賦である。即ち、あなたは49.9960%の確率で勝ち、50.0040%の確率で負ける。いずれにせよ、ほぼフィフティーフィフティーと言っていいだろう。
(補題2)
山分けとなった場合の配当金は、積み上げられた総額が100億100円であるのに対し、配当金を得られるのは5000万人以下であるため、必ず200円よりも大きい。例えば、Aに賭けた人数が約4000万人であり、Bに賭けた人数が約6000万人であれば、Aに賭ければ約250円が配当金となる。もちろん、このときBに賭けていれば、あなたは100円を失う。
(あれ?)
補題1及び補題2より、このギャンブルはあなたにとって「ほぼ半々の確率で勝てる上に、配当金が賭け金の倍を上回る、夢のようなギャンブルである」ことになる。
また、あなたは他の人間と交換可能であるから、このギャンブルは1億1人全員にとって、「夢のようなギャンブルである」ことになる。
(解説)
上の記述にほとんど誤りはない。ただ、「ほぼ半々の確率で勝てる上に、配当金が賭け金の倍を上回る」からといって、「夢のようなギャンブルである」とは限らない、ということだ。
論理的に言って、「賭け金100円で勝率49.9960%のゼロサムゲーム」ということは、逆算すると配当金は平均200.016円でなければならない。仮に、配当金が200.016円だったとすると、少ない方に賭けた人数の期待値は4999万6000人くらいだったということになる。
もちろんこれは二項分布の性質からも確かめることができる。「Aに賭けたひと」の人数期待値はもちろん5000万人であるが、標準偏差は実に5000人でしかない。
つまり、「1億人の人間が全員100円ずつランダムにAまたはBに賭け」た結果として、Aに賭けたひととBに賭けたひとが4000万人と6000万人に分かれることはほぼあり得なくて、せいぜい、4999万人と5001万人くらいにしか分かれないということだ。4995万人と5005万でも±10σであるから、天文学的にレアな状況だということになるし、4000万人と6000万人なんて、重力波や3K輻射や事象地平線が身近に感じられるくらいコズミックである。
二項分布には素朴なスケーリング則は通用しない。10が6と4に分かれるようには、1億は6千万と4千万には分かれない。「大きな数」には、我々が日常的に触れている「小さな数」の取扱いにおける直感や常識が必ずしも通用しない。(補題2)における「例えば、Aに賭けた人数が約4000万人であり、Bに賭けた人数が約6000万人であれば、Aに賭ければ約250円が配当金となる」という記述に嘘はないが、「いやそんなのまずあり得ねえだろバーカ」とすぐに切り捨てられないようでは、あなたも詐欺師に騙されないように気を付けた方がいい。
(補遺)
なお、このゲームでは、「二人の人間が結託して、AとBの両方に100を賭けて、配当金をシェアする」という戦略が必勝であるように、「1億人の人間が結託して、5000万人がAに、5000万人がBに賭けるようにしておくことで、最後の一人であるあなたを罠にかける」という戦略もまた必勝である。いつだってギャンブルは情報戦であり、「勘」こそが養分である。あとこの本は別に面白くありませんでした。
映画館のロビーで「人の目など気にするな。今のオレならどうにでもしてやれる。この時のために、死んだ魚のような目をして六年間生きたよ。施川。」「……おかえりなさい。」「今こそオレを楽しませてくれよ。」みたいな会話があったのかと思うとグンッとテンションが上がるね! 編集長マジカッコイイ! 「これはお前が手クセで描ける集大成じゃないか。」はね、たぶんいま「Championタップ!」で連載しているサナギさんのことだよ。
というわけで、ハジメこと施川ユウキ原作による長編サスペンスということで、もうおれの喜びも有頂天ですよ。内容はもちろん施川ユウキのダークサイド全開、見たことがないものもちゃんと出てきて、読み応え十分。テーマはトリアージ。重いね! 重くて冷たい方程式だね!
しかしなんでリチャード・バックマンみたいなことをしたのかね。やっぱりブラインドテストによる腕試しということだろうか。本人の気持ちは分からないでもないけど、編集部もよくオッケーを出したよね。さすがは判断力のなさには定評があるチャンピオンだね。
「でさ、『円環の理』って、けっきょく何だったの?」
「ほら、『キュゥべえ』と『女衒』でググると、ちゃんとそれなりにヒットするじゃん? 一人じゃないじゃん? そういうことだよ!」
「ぜったいちがう」
というわけで、傑作と名高い「叛逆の物語」を見る前の食前酒として見ました。どれもこれもなつかしー。ティオ・フィナーレ! 食うかい? あたしってほんとバカ! まどかー! 海に捨ててー!
しかし、一通り内容を知った上でこうやって最初から見ると、ほむらちゃんのナルシストっぷりに吹き出しそうになりますね。なに髪をかき上げてんだ! おまえ美少女で良かったな! キモオタだったらグーで殴られてるからな! かわいいは正義、かわいいは正義!
ところで、職場の先輩から「まどマギのメンバーだったら誰がいい?」というセクハラなんだか何なんだかよく分からない嫌がらせを受けたことがあるわけですが、執着心が強いさやかちゃんとほむほむは苦手、まどかには「契約するのかしないのか、はっきりしやがれ! 営業は遊びで来てるわけじゃねえんだぞ!」と言いたくなってしまうので、消去法的にマミさんか杏子かなあと思うわけですが、お二人の共通点は食べ物をくれることであるわけで、食べ物をくれるひとはいいひと! 食べ物をくれるひとはいいひと!
何はともあれ、叛逆が楽しみです。キュゥべえが身を挺して五人を守る場面があるんですよね? まどかとほむほむが DeNA に敵対的 TOB を仕掛けるんですよね? とても楽しみにしています!
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