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2005/2/1 Tue

 「喜びの島」が弾けるようになりたい

 十二時前に起きて、しばらくぼーっとしている。今日も天気は良い。パソコンに向かい、電子ピアノに向かう。
 日記を書きます。一時。ピアノのページに「波の下のかささぎ」をアップしました。なんだかもどかしい弾き方をしているなあ自分。やれやれ。まあこうして二月が始まりました。それじゃ研究所に行ってきますかね。

 長いことぼーっとしている。全く、どうしたのだろうね。コーヒーを飲んで林檎を食べる。本を読んで部屋の片付けをする。洗濯物を取り込む。部屋を出たのは三時過ぎ。やれやれ。自転車で本郷に行くことにする。千駄木の松屋で昼食。大学ではサンに会って遊んでもらう。機嫌が良いらしく、名前を呼んだらやってきた。背中を撫でる。職員さんと少し話をする。物理の図書室に行って、流体の基礎的な勉強をする。まあ知っていることばかり。このレポートは問題ないだろう。総合図書館に行って端末に向かい、色々とcgiを借りてきて試してみるけれど、どうも気に入られないので止めることにする。無駄に時間を使ってしまった。サイトを移転させたいなあ。欲は膨らむばかり。キシピ氏に会い、中央食堂に食事を取りに行く。豚汁とカレーを食べる。歩いて湯島。キシピ氏と別れる。お菓子の王国でチョコレートとパウンドケーキを買っていく。
 自転車で部屋に戻って、ちょっとぼーっとして、お菓子を食べる。なかなか美味しいパウンドケーキである。これで二百円は安い。チョコレートはよく見たら、賞味期限に明後日の日付け。なるほど。そういうことですか。しばらくぼーっとしている。やがて納豆とご飯を食べて、ぼーっとしてお風呂に入って、また納豆とご飯を食べる。お茶を飲む。電子ピアノにさわる。ドビュッシーを聴く。
 日記を書きます。四時過ぎ。レポートの鬼神にはなれませんでした。やっぱりね。そんなことだろうと思っていたよ。まあここで落ち込まないところが僕の良いところであり悪いところである。多分。

 しばらくぼーっとして、寝たのは五時半頃でした。言うまでもなく、ダメな一日であった。

[ 花瓶 ] 029:花瓶を靴の中に入れない

 靴の中である。何が入っているのか知れたものではない。具体的には、小石、画鋲、パチンコ玉、サイコロ、葡萄、蜜柑、鼠、猫、小鹿、蝦夷鹿、馴鹿、馬鹿などが入っている恐れがある。地方や時代によっては、トキ、ドードー、ニホンオオカミ、ナウマンゾウが入っていることもあるだろう。十手、火縄銃、電気椅子、ギロチン台が入っているかも知れない。そんなところに大切な花瓶を入れることができるだろうか。無数のピラニアが共食いしている水の中に裸で飛び込むような真似であると言えよう。あるいは無数のオタマジャクシが共食いしている水の中に裸で飛び込むような真似であると言えよう。花瓶を割りたくなければ、花瓶を靴の中に入れないことだ。

2005/2/2 Wed

 はてなアンテナ、始めました

 起きたのは午後の三時頃。長いことぼーっとしている。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。お茶を入れて飲む。何もしていない。怠惰な時間である。カボチャを食べる。
 日記を書きます。六時過ぎ。買い物に行ってきます。

 歩いて町屋。半額になっていたお寿司を買い、ミスタードーナッツで三割引のドーナッツを買う。どちらも安かった。スーパーで買い物をしてから部屋に戻る。部屋で、お寿司、コロッケ、ドーナッツを食べる。またパソコンに向かったり電子ピアノに向かったりしている。ダメな時間である。やれやれ。
 日記を書きます。一時。はてなアンテナを使ってみることにしました。まだまだ様子見。

 長いことぼーっとしている。お風呂に入る。またぼーっとしている。どうしようもないなあ。パスタを茹でてレトルトのカレーをかけて食べる。
 寝たのは朝の九時くらいでした。何をしているのかよく分からない、相も変わらずダメな一日。

[ 食事 ] ミスタードーナッツのドーナッツを食べる

 ハニーオールドファッション、ハニーディップ、ゴールデンチョコレート。甘いですね。ミスタードーナッツの味だ。ゴールデンチョコレートは、あの黄色い砂糖の粒がどんどん落ちていくところが良い。「どんなに大切な記憶も友達も宝物もね、ゴールデンチョコレートの砂糖粒みたいに、どうしようもなく零れ落ちていくの」という科白はどうか。

[ 花瓶 ] 030:花瓶を帽子の中に入れない

 帽子の中である。何が入っているのか知れたものではない。具体的には、貨幣、紙幣、ハンカチ、万国旗、ステッキ、トランプ、鳩、鴉、鷹、鷲、蝙蝠、軍鶏などが入っている恐れがある。地方や時代によっては、プテラノドン、ディモルフォドン、ランフォリンクス、アンハングエラが入っていることもあるだろう。ステゴサウルス、トリケラトプス、ティラノサウルス、ブラキオサウルスが入っているかも知れない。そんなところに大切な花瓶を入れることができるだろうか。無数のヒルが共食いしている水の中に裸で飛び込むような真似であると言えよう。あるいは無数の三葉虫が共食いしている水の中に裸で飛び込むような真似であると言えよう。花瓶を割りたくなければ、花瓶を帽子の中に入れないことだ。

2005/2/3 Thu

 ダメな一日は今日も続く

 起きたのは昼の三時頃。ダメだなあ。やれやれ。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったりして、長いことぼーっとしている。夕方にグリーンカレーを作って食べる。また長いことぼーっとしている。本当に、どうしたのだろうね、全く。やがてお風呂に入って、コンビニにアイスを買いに行く。またしばらくぼーっとしている。お腹が空いたのでパスタを茹でてオリーブオイルと塩と黒胡椒とバジルとカレー粉をかけて食べる。別にこれで特に不満がない自分はどうかしている。ちょっと落ち込む。
 寝たのは朝の九時半頃でした。引きこもってしまった。やれやれ。他人にあまり迷惑をかけず、かつ排他的ではない生き方を送りたいものです。やはり和して同ぜずというスタイルが好きだなあ、僕は。

[ 食事 ] 部屋でインド風グリーンカレーを作る

 これを作るのは二回目。豚肉をオリーブオイルで炒めて、カレー粉とニンニクの下ろしを加え、水とトマトケチャップとコンソメを入れる。ホウレンソウを茹でて刻んだものを入れて、ココナッツミルクを加えて煮込む。ココナッツミルクが液体だったのでびっくりした。いや、固体だったのがおかしいのか。茹でたパスタと一緒に食べる。ちょっとニンニクが多すぎたかな。やっぱりガラムマサラが欲しいところ。きちんと小麦粉からルーを作ってみたくなってきた。

[ 食事 ] アイス「スーパーカップ 抹茶」を食べる

 明治。当たり前のことだけど、スーパーカップで、しかも抹茶だ。特に印象的な味ではない。僕は分かりやすい味が好きなのだろう。子供だなあ自分。

[ 花瓶 ] 031:花瓶を手袋の中に入れない

 手袋の中である。何が入っているのか知れたものではない。具体的には、右手掌、右母指、右示指、右中指、右薬指、右小指、左手掌、左母指、左示指、左中指、左薬指、左小指などが入っている恐れがある。地方や時代によっては、橈骨手根関節、手根間関節、中手間関節、手の指節間関節が入っていることもあるだろう。背側橈骨手根靱帯、骨間手根間靱帯、放射状手根靱帯、深横中手靱帯が入っているかも知れない。そんなところに大切な花瓶を入れることができるだろうか。無数の水分子が共食いしている水の中に裸で飛び込むような真似であると言えよう。あるいは無数の一酸化二水素分子が共食いしている水の中に裸で飛び込むような真似であると言えよう。花瓶を割りたくなければ、花瓶を手袋の中に入れないことだ。

2005/2/4 Fri

 とろろって言葉はどこの誰が思い付いたのか

 午後の二時半前に起きる。ああ、これはまずい。急いで部屋を出て、自転車で西日暮里、電車で代々木上原、走って研究所。三時過ぎに到着。セミナーに少し遅刻してしまった。午後三時からのセミナーに寝坊で遅刻するとはどういうことか。コーヒーを頂く。五時半頃に終了。パソコンに向かう。
 六時半過ぎに研究室を出て、歩いて代々木上原。松屋で食事を取る。電車で新御茶ノ水、御茶ノ水から電車で小岩。八時から十二時までピアノのお仕事。即興や自作が多め。まあそこまで調子が悪いわけでもない。のんびり弾いていました。最後まで楽譜は一ページも見なかった。いいのか。休み時間には本を読む。
 お仕事を終えて、電車で御茶ノ水、新御茶ノ水から電車で西日暮里、卵を買ってから自転車で部屋。しばらくぼーっとしている。納豆と卵ととろろをご飯にかけて食べる。なかなか美味しいもので。ご飯はいいなあ。お風呂に入る。またしばらくぼーっとしている。林檎を食べてお茶を飲む。悪くない時間である。
 五時半頃に寝る。最近、植松伸夫の「太陽の海岸」をアレンジして遊んでいます。なかなか面白いもので。コスタ・デル・ソル。

[ 研究 ] 研究室セミナーで技官さんの発表

 論文紹介。回転する円管における乱流の測定をした実験について。論文内における円柱座標が(z,r,theta)でなく(z,theta,r)だったので混乱する。いや、右手系だったのかも知れない。回転の効果によって乱流が弱められることは知っていたのだけど、実験結果でも数式の上でも、レイノルズ応力が実際に抑えられているのを見たのは初めて。なるほど。しかしもっとRotation Numberが小さいときの実験結果を見たいなあ。規格化するために摩擦速度を使うか平均速度を使うかについて、またu(r)とu(theta)の相関などについて、議論がある。

[ 花瓶 ] 032:花瓶を靴箱の中に入れない

 ついうっかりミスを犯してしまうことくらい誰にだってある。花瓶を靴と間違えて外に出てしまった経験は、誰もが恥ずかしい記憶と共に隠し持っているものだろう。確かに花瓶と靴はとてもよく似ている。ト音記号とヘ音記号くらい似ている。あるいは四分音符と四分休符くらい似ている。それに靴を履く時間帯は朝が多く、朝はまだ寝惚けていることが多いものだ。花瓶を履いていってしまうのも無理はない。誰がそんなことを責められるのだろうか。人間はミスをする生き物だということを忘れてはならない。さて花瓶の履き方であるが、足の指で花瓶の首を挟むタイプの人間もいれば、花瓶の中に足を突っ込むタイプの人間もいる。ここが実に興味深いところで、実際にある大学教授はこの事象に関する統計的な分布を調べたそうである。恥ずべき過去を明るみに出さなければならないこの調査は当時物議を醸し出し、政治的な事情と絡んで人権問題にまで発展しかけたが、記者会見の場に現れた教授自身が花瓶を履いていたために、一連の出来事は教授が用意した壮大なジョークであることが判明したのである。これが後に言う、水島花瓶事件であることは言うまでもない。因みにこのとき教授が履いてきた花瓶は、帰りに近所の犬に噛まれて割れたそうだ。

2005/2/5 Sat

 六本木が似合わないなあ自分

 十一時頃に起きる。天気は良い。長いことぼーっとしている。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。どうしようもない気分になる。ううむ。四時過ぎに部屋を出る。六本木ヒルズに行ってくる。部屋に戻ったのは十時頃。しばらくぼーっとして、お茶を飲む。お風呂に入って、洗濯をする。とろろと納豆を食べる。またパソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。勉強していないなあ。やれやれ。
 日記を書きます。二時。まあ色々なことがあるのかも知れないけれど、それでも人生ってのは悪くないものだと思いますよ。いや、本当に。まあ僕はのんびりと生きていきますよ。

 しばらくぼーっとして、三時前に寝ます。モネやルノワールの画集もいいなあ。絵は描けないけど好きです。

[ 外出 ] 六本木ヒルズに行く

 部屋を出て、自転車で西日暮里、電車で乃木坂。歩いて六本木。気分は悪くない。サイゼリヤで夕食を取る。六本木ヒルズに行き、のんびりと中を歩き回る。高そうなお店が多いなあ。こんなところにいて良いのか自分。本屋のような雑貨屋のような「六本木ヒルズアートアンドデザインストア」というお店に行ったのだけど、絵画、写真、音楽、建築などに関する本が充実していて実に良かった。エッシャーの画集が欲しいなあ。帰ることにする。六本木から電車で霞ヶ関、西日暮里。自転車で部屋に帰ります。

[ 食事 ] 六本木「サイゼリヤ」に行く

 六本木まで来ておいて、サイゼリヤに行く自分はやはり小心者である。シーフードチャウダー、チキンカレーのドリア、スパゲッティタラコソースシシリー風、トリフアイスクリーム、ドリンクバーを注文する。お腹が空いていたので。いや、よく食べてしまった。やはりサイゼリヤは値段が安いのがありがたい。庶民の味方です。チキンカレーの鶏肉がちょっと妙な味だったような。思っていたよりもスパゲッティが美味しかったですね。

[ 花瓶 ] 033:花瓶を帽子掛けに掛けない

 いや、何も責めるようなつもりはないんだ。別に構わないじゃないか。花瓶を帽子と間違えて被ってしまったって。そういうときだってあるだろう。間違えたっていいじゃない、人間だもの。被ったっていいんだ。そこまでは、いいんだ。問題は家に帰って帽子を外すときなんだ。人は家に帰り、帽子は帽子掛けに帰る。姫が月に帰るように、命が塵に帰るように、帽子は帽子掛けに帰るものだ。しかしそのとき、人はどのようにして帽子を帽子掛けに戻すか。決まっている。帽子掛けに背中を向けたまま、背後に帽子を放り投げる。これだ。そして帽子は見事に帽子掛けに引っ掛かる。完璧。何も問題はない。そのはずだったのに。まさか帽子が花瓶だったなんて。そして花瓶が帽子掛けに引っ掛からなかったなんて。神様、あなたはなんて残酷なんだ。姫を返せ。命を返せ。

2005/2/6 Sun

 雑司ヶ谷に住むのも悪くなさそう

 十時半頃に起きる。なかなか健康的なのではなかろうか。ちょっとぼーっとして、スーパーに行って買い物をする。部屋に戻って掃除をしたり料理をしたり。昼食は炒飯と餃子。外を見ると部屋の前でセグウェイに乗っている人がいる。いいなあ。僕も乗ってみたい。しばらくぼーっとしている。日差しが暖かい。
 三時頃に部屋を出て、自転車で雑司ヶ谷の方に行く。戻ってきたのは七時頃。流石に疲れたな。しばらくぼーっとしている。お菓子を食べる。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。いつものようにぼーっとしていました。テレビに向かって「ガキ」を見て、お風呂に入る。
 日記を書きます。一時半。ちょっと頭痛がします。今日はさっさと寝た方が良さそうだ。

 しばらくぼーっとして、炒飯を食べてサンドウィッチを作って、三時頃に寝ます。しかし雑司ヶ谷といえばやはり京極夏彦の「姑獲鳥の夏」ですね。あれは面白かった。また読み返してみたいなあ。

[ 食事 ] 部屋で炒飯と餃子を作る

 餃子は買ってきたものを焼くだけ。炒飯の具は、卵、チャーシュー、ツナ、ホウレンソウ。なかなか美味しい炒飯になってくれました。量も味も悪くなく、十分満足できる昼食。やっぱり中華風の料理はいいなあ。

[ 外出 ] 自転車で雑司ヶ谷に行く

 部屋を出る。自転車で道灌山通りから不忍通りまで出て、護国寺まで行く。お寺の中を参観させてもらう。いい敷地だなあ。お堂の像や絵が見事であった。眼福。更に目白の方に向かって、雑司ヶ谷へ。この辺りは雰囲気が良いです。旧宣教師館に行く。中を見せてもらう。いつかこんな家に住めたらいいなあ。いや、住んでみせますよ。雑司ヶ谷霊園に行き、竹久夢二の墓や夏目漱石の墓を拝む。漱石の墓石は流石に立派であった。池袋のサンシャインシティで輸入食品を買う。ベンチに座ってお菓子を食べる。自転車で部屋に戻ります。

[ 食事 ] お菓子「Biscuiterie」を食べる

 Destrooper。ベルギーの誇りだそうで。三種類のビスケットの詰め合わせで、量に対して値段は決して安くはなかったけれど、リーフパイのような薄いワッフルのような形をしたバタービスケットは、文句なしに美味しかった。シナモンやアーモンドのものも悪くなかったけど、このバタービスケットの前には霞んでしまいますね。これは良いお菓子を食べた。また食べたい。

[ ガキ ] 屁が出たら寿司を堪能

 ヘマチ・ド・パリの続編、すし屁ぇ。寿司屋の大将の名前が屁待山だった。屁ィ、ねえ。それでいいのか。山崎の「バスフィッシングと一緒ですよね」に松本の「違うっ」のコンビネーションネタが高ポイント。いいなあ。ラスト・ヘンペラー対ヘンリー王子の対決はヘンリー王子の勝利に終わる。良かったね、王子。何はともあれ、ガス抜きだけにガースー抜きで。

[ 花瓶 ] 034:花瓶をコートのポケットに突っ込まない

 手袋を取り出そうとしたのに花瓶が出てきたら、そりゃ誰だってやるせない思いに駆られてしまうことだろう。毛糸で出来た暖かい手袋が欲しかったのに、土や石で出来た冷たい花瓶が出てくるのだ。悲しい。これくらい悲しいことがあるだろうか。箪笥を開けたら一昨年のカレンダーが出てきたくらいに悲しい。積み重ねた本の下に洗顔フォームを見付けたくらいに悲しい。冷蔵庫を開けたらビデオテープが入っていたくらいに悲しい。しかしどんなに言葉を重ねたとしても、悲しみを正確に伝えることはできない。ただそれが最も的確に表現される言語のことを、人間は怒りと呼んでいるようだ。カレンダーは一枚残らず引き裂かれてから灰も残らぬほど焼かれ、洗顔フォームは一滴残らず絞り出されてからシュー生地に詰められ、ビデオテープは冷凍庫で冷凍されてから電子レンジで解凍され、花瓶は握り締められてから目の前の通行人に叩き付けられるのである。

2005/2/7 Mon

 風邪を引いてしまったようです

 十一時頃に起きる。ちょっとぼーっとして、サンドウィッチを食べる。十一時半過ぎに部屋を出て、自転車で大学へ。生協の前で物理の友人に会う。物理の控え室に行って、物理の友人と待ち合わせ。レポートの問題と解き方について教えてもらう。なるほど。生協でパンと飲み物を買ってきて、控え室に戻って食べる。ひたすらレポートを解く。物性実験の友人がやってくる。なんとか四時頃には一問を除いて書き上げる。論文をひとつ読んでまとめるように、という問題がまだ残っているのだけど、そんな時間があるわけないではないか。天文の図書館に行くものの、物性の論文なんて見当たらない。仕方なく「申し訳ありません」と書いて提出。いいのか自分。生協前で薬学の先輩に会う。物理の友人のところに行き、借りていたレポートを返す。ありがとう、助かりました。
 自転車で帰ります。肉のハナマサ秋葉原店でパスタを買っていく。大和物産やお菓子の王国に寄るものの、収穫はなし。部屋ではしばらくぼーっとして、七時頃には横になる。九時頃に起きる。ご飯と納豆と粕汁を食べる。美味しい。お米はいいなあ。ご飯が美味しいのは幸せなことです。古い映画を見る。またしばらくぼーっとして、シャワーを浴びる。お腹が空いたのでチャーハンを作って食べる。
 日記を書きます。三時半。どうやら風邪を引いてしまったらしく、日中は頭痛がして仕方なかったのですが、今はかなり楽になりました。風邪を引いたときは、栄養を取ってしっかり休むことです。

 ちょっとぼーっとして、四時半頃に寝ます。夜更かしをしてしまった。良くないな。

[ 映画 ] 「銀河鉄道の夜」”Nokto de la Galaksia Fervojo”

 宮沢賢治の小説「銀河鉄道の夜」を杉井ギサブローがアニメ化したもの。今から二十年も前の映画である。ジョバンニとカムパネルラは銀河鉄道に乗って、様々な人々と巡り会いながら、銀河の彼方まで旅を続けていく。
 原作におけるジョバンニはちょっと嫌なところもある奴だけど、この作品ではジョバンニはとても優しい子供になっている。礼儀は正しく、態度は親切だ。街でザネリから嫌がらせの言葉を浴びせかけられても、怒鳴り返すこともしなければ掴みかかるような真似もしない。ただ小さく呟いて、空を見上げるだけである。ジョバンニは誰も否定しない。ただ黙って人々の言葉を受け止め、何も言わずに蠍の火を胸に抱く。表現の形こそ違えども、賢治の思想は確実にこの作品に生きている。
 原作においてそれが如実に表れた次の会話も、作中ではほぼ完全に再現されている。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
 燈台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
 青年が祈るようにそう答えました。

 銀河鉄道における幻想的な描写も実に素晴らしいのだけど、同時にこの映画では物事を見つめる視点というものがとても面白い。たとえば活版所での電話、たとえばパン屋にいた客、たとえばジョバンニの家の蛾とトマト、たとえば不安そうに点滅する外灯、たとえば林の小道を登る途中のカラス。数え上げていけば切りがない。音楽の使い方と重ねて、監督のセンスが光るところである。こういった何気ない物事の描写こそが、この映画の見所だとも言えるだろう。当たり前のことに意味を見付けるところから、幻想の世界への旅立ちは始まるのである。旅の目的は逃避でも成長でもない。カムパネルラの涙もジョバンニの涙も、何かに辿り着くための手段ではない。ただ幻想はそこにあるからあるのであり、ただ悲しみはそこにあるからあるのである。
 この映画で最も印象的なシーンを挙げろと言われたら、僕は迷わずに石炭袋の場面だと答えるだろう。実に僕はこの映画を子供の頃から何十回も見続けているけれど、小さかった頃はあそこの場面が怖くて仕方なかったし、今でもどうしようもなく胸を打つものがある。天上、野原。僕は死をとても恐れる。それは僕にとって死は石炭袋を意味し、石炭袋は説明のしようもない喪失を意味するからだ。自分を覆っている皮膚が破けて心が流出していくような途方もない苦しみを、この世の誰が恐れずにいられると言うのだろう。
 最後に。この映画のエンディングには、ちょっとしたサービスのようなナレーションがある。賢治を知る人間なら誰でもにやりとするところであろう。宮沢賢治という偉大な存在の肉体は失われ、天才的な言語センスもまた失われてしまった。悲しむべきことである。しかしその意思と思想は、いつまでも朽ちることなく生き続けるのだろう。

銀河鉄道の夜 銀河鉄道の夜』 DVD
PIASM
出演者:田中真弓,坂本千夏, その他
発売日:2002/03/22, 価格:\4,935, 時間: 107 分

音声: 日本語
音声仕様: Mono
画面サイズ: ビスタ
[ 食事 ] 部屋でチャーハンを作る

 具は、ネギ、チャーシュー、卵。シンプルながらも美味しいチャーハンになってくれた。チャーハンはいいなあ。しかし非常にどうでもいいことなのですけれど、チャーシューレタスチャーハンは漢字を使って書くと叉焼レタス炒飯ですね。なんだかレタスがミドルネームみたいだ。

[ 花瓶 ] 035:花瓶を灰皿の代わりにしない

 ものぐさな人間は決して灰皿の掃除なんかしないものだ。そもそもそういう発想自体が欠けているのだから仕方ない。使えるだけ使って吸殻が入らなくなったら諦めて次の灰皿を探す。そういうものである。空き缶でもいいし、植木鉢だっていい。花瓶なんてもってこいの灰皿ではないか。普通の灰皿の十倍は吸殻が入ること請け合いである。ものぐさな人間は喜んで花瓶を灰皿にすることだろう。さてその花瓶にももう吸殻が入らなくなるときが来る。しかしものぐさな人間は決して掃除をしない。放置である。吸殻の詰まった花瓶はいつしか部屋の風景の一部と化す。空気と同化して意識しなければ見えないものになる。冷凍庫に何故か入っている保冷剤のような存在だ。しかしそんな花瓶も永遠にそのままでいられるわけではない。いつか処理される日が来る。概してものぐさな人間は一生を通じてものぐさな人間であるから、きっとその親しい人間辺りが花瓶を見付けて疑問に思うのであろう。持ち上げてみるとやたらと重い。見たところ花瓶の口には吸殻ばかりであるが、もしかしたら中には高価なものでも隠してあるのではないか。人目の付かないところに行き、花瓶を振り上げる。愚かである。ものぐさな人間は決して財産の隠蔽なんかしないものだ。そもそもそういう発想自体が欠けているのだから仕方ない。

2005/2/8 Tue

 引きこもってピアノを弾いていました

 午後の一時半頃に起きる。寝坊してしまった。天気も体調も決して良くはないので、今日は引きこもることにする。まあ天気や体調が良かったとしても、今日は引きこもったことでしょうね。どうせ僕はそういう奴ですよ。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。お茶を飲んでビスケットを食べる。長いことぼーっとしている。気分はそこまで悪くない。のんびりしています。六時前に部屋を出て、町屋のSHOP99まで買い物に出掛ける。路地裏を歩いて帰る。部屋に戻ってしばらくぼーっとして、夕食を作る。洗い物を済ませる。
 日記を書きます。九時過ぎ。ピアノは良いです。のんびり本でも読むことにしますかね。

 アイスを食べて、しばらくぼーっとしている。どうも落ち着かない。あまり良い傾向ではなさそうだ。パンの耳を調理して食べる。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。コーヒーを飲む。
 日記を書きます。十二時半。どうも食欲の湧く時間帯と湧かない時間帯の差が激しいのだけど、何かの病気なのだろうか。まあ最近ご飯が妙に美味しいので、その点に関して文句はありませんけどね。

 しばらくぼーっとして、シャワーを浴びる。のんびりしています。ピアノを弾く。寝たのは四時頃。最近よくドビュッシーの曲を練習しています。弾けるようになるのかどうかは分からないけれど。前にも何回か書いた気がするけれど、僕は中期のドビュッシーが好きです。具体的には、ベルガマスク組曲、ピアノのために、版画、マスク、喜びの島、映像第一集といったところ。しかしこの中では映像第一集が最も後年の作なのですね。なんだかちょっと不思議な感じ。

[ 食事 ] しめさばを食べる

 夕食に、ご飯、納豆、粕汁、しめさば、チャーハンを食べる。チャーハンの具は、ネギ、チャーシュー、卵で、なかなか悪くない出来であった。問題のしめさばはSHOP99で買った安物なのだけど、意外と普通のしめさばの味がして美味しかった。これだったら毎日食べたいかも。まあ味の分かる方からすれば粗悪なしめさばなのかも知れないけれど、味音痴の僕にはこれで十分満足ですよ。いや、もっと美味しいしめさばも食べたいですけどね。ばってらが食べたくなってきました。鯖が好きです。はい。

[ 食事 ] アイス「シェ・ミルク こんがりコ−ン」を食べる

 雪印。ミルクが効いているところが良いのだけれど、それ以外は良くも悪くもあまり個性を感じない。まあそれなりに美味しいバニラアイスでした。美味しいコーンアイスはそれだけで貴重です。

[ 食事 ] 部屋でパンの耳ガーリックトースト風を作る

 マーガリンとおろしニンニクとバジルでパンの耳を炒める。なかなか悪くない。ちょっとニンニクが多すぎたかな。マーガリンやニンニクをうまく均等に分散できないものだろうか。

[ 花瓶 ] 036:花瓶を浮輪の代わりにしない

 どういう花瓶だ。きっと断面積がやたらと大きいに違いない。大の大人が楽々と横になって文庫本を読めるくらいのサイズがあるのだろう。海だ。太陽の光が降り注ぐ下、男は半裸姿で花瓶に横たわっている。傍にはクーラーボックスとステレオラジオ。冷たい飲み物と暖かい音楽がなかったら、生きている意味なんてあんまりない。打ち寄せる波の音を聴きながら、男は深い眠りに落ちてしまう。幸せな気分で寝ることに問題があるのなら、それは神様の設計ミスというものだろう。しかし言うまでもないことであるが、神様の設計が完璧である保証なんてどこにもない。やがて男は目を覚ます。もう空気は冷たくなっていて、陸地はどこにも見えない。嫌な予感がする。男は水面の下を覗き込む。そこには大きな顎を持った生き物が泳いでいる。花瓶に衝撃が走る。男は慌てて周囲を見渡す。海の他には何も見えない。空には月が浮かんでいる。

2005/2/9 Wed

 大手町の駅は大都会の迷宮なんだ

 十二時半頃に起きる。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。しばらくぼーっとしている。部屋を出たのは一時半過ぎ。自転車で西日暮里。駅の改札で定期券の期限が切れていることに気付く。しまった。切符を買って大手町へ。定期券売り場を見付けるものの、持ち合わせが足りない。外に出て銀行でお金を引き出してから引き返すが、今度は定期券売り場がどこにあるのか分からなくなってしまう。もう嫌だ。なんとか定期を買って、電車で代々木上原。松屋で昼食を取り、歩いて研究所。今日はとても天気が良い。研究室でコーヒーを飲む。参考書を読んだりレポートを書いたり。のんびりしています。ボスの授業のレポート、明日には書き上がればいいなあ。お腹が空いたのでカップラーメンを食べる。
 日記を書きます。九時。帰ります。今日は実は残業してはいけない日らしい。だけど残ってしまった。やったね。

 研究所を出て、歩いて代々木上原、電車で西日暮里。自転車で帰る。途中、近所のスーパーでキムチを買っていく。部屋ではしばらくぼーっとして、パソコンに向かう。またページの細かい修正など。今回のコンセプトは、どんな環境で見ても大差ないようにすること。まあそれなりにうまくいったような気がする。どうも僕はちょっと疲れているようだ。キムチチャーハンを作って食べる。またパソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。ドビュッシーはいいなあ。シャワーを浴びる。コーラを買ってきて飲む。のんびりしています。
 日記を書きます。三時半過ぎ。意図したことではあるのだけど、スタイルシートを外さない限り文字サイズの変更が許されないのは、やはり望ましいことではないだろう。代替スタイルシートを用意したいなあ。逃避。

 しばらくぼーっとして、四時過ぎに寝ます。キムチは美味しいです。また食べたい。

[ 花瓶 ] 037:花瓶をドアの前に置かない

 考えられる状況は四つある。一、ドアを引いて開ける場合で花瓶がドアの手前にある場合。二、ドアを引いて開ける場合で花瓶がドアの向こうにある場合。三、ドアを押して開ける場合で花瓶がドアの手前にある場合。四、ドアを押して開ける場合で花瓶がドアの向こうにある場合。一は気を付ければ特に問題ないだろう。とにかくドアが花瓶に当たらないように、ゆっくり慎重に開けることだ。何だったら花瓶を少し動かしたって構わない。多少の危険は伴うが、それくらいは許されるだろう。二も気を付ければ特に問題ないだろう。とにかくドアが花瓶に当たらないように、ゆっくり慎重に開けることだ。何だったら花瓶を少し動かしたって構わない。多少の危険は伴うが、それくらいは許されるだろう。三も気を付ければ特に問題ないだろう。とにかくドアが花瓶に当たらないように、ゆっくり慎重に開けることだ。何だったら花瓶を少し動かしたって構わない。多少の危険は伴うが、それくらいは許されるだろう。四はどうしても救いようがない。きっと花瓶には揮発性の毒薬が入っているのだろう。逃げろ、奴らの罠だ。

2005/2/10 Thu

 エネルギーカスケードについてまとめる

 午後の一時半に起きる。ああ、よく寝てしまいました。しばらくぼーっとしている。パソコンに向かう。だらだらしています。ううむ。ダメだなあ。二時半過ぎに部屋を出て、自転車で西日暮里。吉野家で昼食を取る。しかしこうやって外食ばかりしているのはやはり不経済だ。なんとかしたいものである。電車で代々木上原、コンビニでお菓子を買ってから、歩いて研究所。研究室ではコーヒーを飲んでお菓子を食べる。レポートを書く。専門の良い復習になります。自分の筆の遅さにちょっと驚いてしまった。誰もいない研究室でジンジャーエールを飲む。ドーナッツを買ってきて食べる。
 日記を書きます。十時過ぎ。ひとつ歳を取っていたのでプロフィールを少し更新。ボスの授業のレポートはなんとか半分終わりました。このレポートはあっさり片付けるはずだったのに、こんなに時間がかかってしまうとはね。やれやれ。残り半分もがんばろう。明日のお仕事の前には終わらせたい。

 研究所を出て、走って代々木上原、電車で西日暮里。車内では次の課題について考える。どうも漠然としていて、何をどう考えれば良いのか分からない。困った。専門のはずなのに。自転車で部屋。ご飯と納豆を食べる。シャワーを浴びて、林檎とじゃがいもを食べる。なかなか美味しい。
 日記を書きます。一時。なんだか疲れました。今日はもう寝ることにします。

 しばらくパソコンに向かってぼーっとしている。寝ようとするものの、なかなか眠ることができない。パスタを茹でてソーセージと炒めて食べる。なんだかガスコンロの調子がおかしいなあ。ちょっと怖いものがある。
 寝たのは四時過ぎでした。瓶詰めソーセージは期待外れであった。これなら肉のハナマサのソーセージの方が美味しい。

[ 食事 ] お菓子「チョコがけバナナチップ」を食べる

 無印良品。なかなか面白い味がして良かった。こういうちょっと工夫してあるお菓子は良いものですね。

[ 花瓶 ] 038:花瓶を自動ドアの間に置かない

 自動ドアの種類によっては、花瓶を感知して閉まらずにいるかも知れない。しかしもしも花瓶が感知されず、自動ドアが非情にも閉まってしまったら。もう悲劇を避けることはできない。決定された未来には逆らえないのだ。最悪の場合というものを想定してみよう。エレベーターだ。ドアが開く。花瓶をドアの位置に置く。ボタンを押す。ドアが閉まる。花瓶はドアに挟まれる。ここで割れればそれで終わりだ。お話にもなりはしない。しかしその先があるとしたら。意外にも花瓶は頑丈に作られていて、自動ドアの衝撃にも耐えられるとしたら。悲劇を避けられるかも知れない。決定された未来を覆せるかも知れない。だが誰もが知っているように、運命とは残酷なものだ。エレベーターが動き出す。上の階に向かう。花瓶は挟まれたままだ。天井が近付いてくる。自動ドアは笑っている。その大きな歯で、花瓶を噛み砕こうとしている。

2005/2/11 Fri

 渦粘性近似についてまとめる

 朝の十時頃に起きる。今日はとても良い天気である。しばらくぼーっとしている。ガスコンロをよく見てみたら、野菜の欠片らしきものが挟まっていた。道理で点火できなかったわけだ。十一時頃に部屋を出る。自転車で西日暮里、電車で代々木上原。レポートについて考えをまとめる。まあなんとかなりますって。松屋で昼食。歩いて研究所。途中、コンビニでキットカットの五角形マグカップを買う。欲しかったのです。いいじゃないですか、キットカット。研究所に着いたところで、今日が祝日であることに気付く。知るか。官僚の友人にメールを出す。おめでとうございます。研究室ではマグカップのおまけに付いてきたカフェラッテを飲む。なかなか美味しい。普段から飲みたくなる味だ。
 日記を書きます。十二時半過ぎ。レポートは六時までに書き上げて、ボスの机の上に置いておこう。そうしよう。それじゃバリバリ書くことにしますかね。僕のやる気さんも起き出してきたようです。

 ひたすらレポートを書く。二次の渦粘性近似では速度歪みテンソルと渦度テンソルの二次の量を扱うけれど、計算しても速度歪みと速度歪みの積と速度歪みと渦度の積だけで、ボスがモデル化に使っている渦度と渦度の積が出てこない。どうしてだ。ボスがいたら聞けるのに。いや、聞けないけど。ここは流すことにしよう。
 日記を書きます。四時前。あとはTSDIAの話をすれば終わり。グリーン関数と相関関数。ここの計算はMHDを勉強したときに笑い出したくなるくらいやったので、まあなんとかなるだろう。しかし間に合うかなあ。あと二時間半くらいか。

 ひたすらレポートを書く。なんとか最後まで書き上げたので、ボスの机の上に置いてメールを出す。統計量とグリーン関数の形を仮定して波数空間で積分するところでつまづいてしまった。ややこしいなあ、全く。欲を言えばTSDIAを使ったレイノルズ応力の二次のモデリングにまで踏み込みたかったけど、そんな山を登るような余力はない。あとレポートはひとつ。がんばろう。
 日記を書きます。六時半過ぎ。なんだか疲れました。それではお仕事に行ってきます。

 歩いて代々木上原、電車で新御茶ノ水、御茶ノ水から電車で小岩。イトーヨーカドーでお菓子と飲み物とおにぎりを買っていく。八時から十二時までピアノのお仕事。お給料を頂く。演奏は即興やジャズが多め。そこまで面白いものでもない。バイト中はバッハを弾いているときが最も楽しいような気がする。まあ二曲くらいしか弾かないけど。もっとドビュッシーを弾きたいなあ。休み時間には控え室に転がっていた漫画を読む。
 電車で御茶ノ水、新御茶ノ水から電車で西日暮里、自転車で帰ります。コンビニでお酒とアイスを買っていく。部屋では粕汁を食べて、お風呂に入る。シャンプーとリンスを詰め替える。アイスを食べて、しばらくぼーっとしている。お酒を飲んでお菓子を食べる。なかなか悪くない時間である。
 四時頃に寝ます。まあ何はともあれ、レポートが書き上がって良かった。意外と良い勉強になりました。

[ 食事 ] アイス「パティシエの味づくり ラムレーズン」を食べる

 メイトー。これはなかなか良い味のラムレーズンアイスですね。アイスもレーズンも実に美味しい。あまり見掛けない商品なのだけど、簡単に手に入るようになるといいなあ。僕はラムレーズンが好きなんだ。

[ 花瓶 ] 039:花瓶を回転扉の中に置かない

 月明かりでさえも暗闇に遮られて気の迷いのように思える夜。誰にも気付かれることなく、奴はそこに忍び込んでいた。懐から花瓶を取り出して、回転扉の中に置く。決して割れないように、赤子を寝かすような優しい手付きで、花瓶を床に置く。そして慎重に回転扉を回す。ゆっくり、ゆっくり。もしその様子を見ている者がいても、回転扉が動いている事実に気付かないくらい、静かに緩やかに回す。回転扉は花瓶に当たる。しかし花瓶が割れることはない。そよ風に当たって割れる花瓶があるものか。ゆっくり、ゆっくり。回転扉は動き、花瓶も動く。気の遠くなるような作業だ。もう始めてから二時間以上が経過している。奴の顔にも疲労の色が浮かんでいた。もうこれくらいでいいだろう。奴は手を止める。そして回転扉を少しだけ戻す。これで完璧だ。奴は花瓶に背中を向けて立ち去る。やがて朝になる。誰かがやってくる。何の疑問も持たずに回転扉を回そうとしている。奴はそれを眺めている。白い前歯が見えている。

2005/2/12 Sat

 版画も良いものですね

 十二時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。ちょっとパソコンに向かう。少しお菓子を食べる。一時過ぎに部屋を出て、戻ってきたのは六時頃。少しお菓子を食べる。しばらくぼーっとしている。のんびり。カレーライスを作って食べる。カボチャとジャガイモとイカとソーセージを入れてみた。昼食がカレーだったのに夕食もカレーで構わない自分がいる。まあカレーは好きです。かなり好きです。お風呂に入る。しばらくぼーっとしている。あまり気分は落ち着かない。ううむ。
 寝たのは朝の六時頃でした。まあそういう日もありますって。風の弱い日があれば風の強い日もあるんですよ。

[ 外出 ] 東京芸術大学に行く

 部屋を出る。自転車で西日暮里、谷中、千駄木。ダージリンで昼食を取る。お店を出て根津の方に行き、裏道の坂を上ると、お寺などがあって古い時代を思わせる通りがある。良い雰囲気だ。
 東京芸術大学へ。美術館で中林忠良の版画を見て、福井爽人の絵画を見る。どちらも実に良かった。版画の方は白黒二色だけで強い威圧感のある、息詰まるような感覚さえ与えてくれる作風で、絵画の方はインドや日本の穏やかな風景を思わせる、特に青い色彩の使い方が見事な作品ばかりであった。しかしどうでもいいことなのだけど、中林忠良の作品に「すべてくちないものはない」というフレーズがあるのを見て、なんだか僕みたいなセンスだなあと不遜にも思ってしまった次第である。言い出しそうだ。すべてくちないものはない。
 しばらくキャンパス内を散歩する。鯉がいて、猫がいる。ちょっと汚れた白い猫で、近くに寄ってきたので遊んでもらった。夕方になったので帰ることにする。自転車で根岸の方を通って三河島へ。途中、スーパーで買い物をしていく。お米を購入。部屋に戻ります。

[ 食事 ] 千駄木「ダージリン」に行く

 店員さんからインド式の挨拶をされたのでちょっとびっくり。いいなあ。エビのカレーを食べる。やはりこれは実に美味しい。そこまで辛くないのでインドカレーが苦手な人にも良さそう。ちょっとシチューのような味がする。こういうカレーを作れるようになりたい。タンドリーチキンとナンも実に美味しかった。満足。ただラッシーがちょっと薄かったような気がする。店員さんの一人があまり日本語を話せないようだったのだけど、なんでも三日前に日本に来たばかりらしい。大変だなあ。がんばって下さい。また来ます。

[ 花瓶 ] 040:花瓶をシャッターの下に置かない

 おい、ちょっと待ちたまえ。何だね、この花瓶は。どうしてシャッターの下にこんなものが置いてあるんだ。いや、別に私はこの花瓶の詳しい素性を知りたいわけじゃない。この花瓶がどのようにして作られたのか、どんな職人が作ったのか、どんな技術によるものなのか、あるいはどんな工場で作られたのか、どんな機械が使われたのか、工場長はどんな名前なのか、この花瓶が出荷された日の工場長の朝食は何だったのか、朝食に工場長の嫌いなコールスローがあったせいで花瓶は普段よりも粗末な扱いを受けていないのか、そんなことはどうだっていいんだ。私は君の出身地や生年月日なんか知りたくもないよ。君が何年何月何日の何時何分何秒にどこの病院のどの手術室で何ヶ月と何日の果てに母親の胎内から出てきたのかなんてどうでもいい。どんな医者がどんなメスを握ってどのように君の母親の皮膚を切り裂いたのかに興味はないんだ。問題なのは、君がどのような仕事をするのか、そしてこれが花瓶であることだ。いいかい、よく考えてみたまえ。別に難しいことじゃない。その一、花瓶がシャッターの下に置いてある。その二、君はシャッターを下ろそうとしている。その三。その三は一体何だと思う。小さな子供にだって分かることだよ。そうだね。その三、花瓶はシャッターの下敷きになって壊れる。簡単なことじゃないか。小銭を自動販売機に入れて、ボタンを押せば、選んだジュースは出てくるんだよ。君だって分かっているじゃないか。てっきり私は、君が自動販売機の使い方も知らないような田舎者なのかと思ったよ。自動販売機に向かってコーラが飲みたいんですって言ってもコーラは出てこないからね。ははは。君がどんな人間かなんてどうでもいいが、自動販売機の使い方くらいは知っていないとな。おい、何だ、その目付きは。私を見下すな。おい。ぐ。お前。ぐ。こんなことをして。ぐ。ぐ。ただで済むとでも。ぐ。ぐ。くそ。何だ。おい。ちょっと待て。お前、何をしようとしている。待て待て。これを外せ。外せ。田舎者。シャッターを下ろすんじゃない。下ろすな。下ろすな。私は花瓶じゃない。

2005/2/13 Sun

 頭痛は腹痛と同じくらい嫌いです

 起きたのは午後の二時頃。どうも頭痛がして仕方ない。風邪を引いてしまったのだろうか。あるいは気圧の変化のせいなのかも知れない。とにかく頭が締め付けられるような痛みがある。嫌だなあ。しばらくぼーっとしているものの、どうやらあまり動き回らない方が良いようなので、粕汁とご飯を食べて寝ることにする。昼寝。
 夜になって目を覚ます。まだ頭痛は治っていない。豆ご飯、ひじきの煮物、さわらの西京漬けを食べる。なかなか美味しいものですね。ちょっとカレーも食べる。しばらくぼーっとしている。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。新しい曲が目の前にあるのだけど、果たして完成するのかどうか。アイスを食べる。テレビに向かって「ガキ」を見る。お風呂に入る。またしばらくぼーっとしている。急にポテトサラダが食べたくなったので作って食べる。あまり気分は落ち着かない。やれやれ。
 寝たのは朝の六時頃でした。頭痛の原因として考えられるのは、風邪、気圧変化、花粉、肩凝りくらいかな。頭痛は嫌なものですね。人生から頭痛を排除できるなら一生沢庵が食べられなくても構いませんよ。

[ 食事 ] アイス「ビスケットサンド」を食べる

 森永。これは美味しいなあ。ビスケットの間にバニラアイスが挟んであるのだけど、ラクトアイスやアイスミルクではなくアイスクリームで、ビスケットもきちんとした美味しいビスケットだ。同社の「マリービスケットサンドアイス」によく似ているけれど、あれよりもちょっとビスケットが甘いような気がする。量も割と多め。良いアイスです。

[ ガキ ] ヘイポー若手芸人お見合い

 今回は久し振りにヘイポーのお見合い。ヘイポーが若手芸人に扮するというもの。ヘポ陽区、ヘポシ、ヘポットヘポット、ポ頭2時ジャスト。なかなかの完成度の低さであった。この空気の悪さは見事だなあ。しかし何でそんなに必死なんだ、ヘイポー。どうでもいいけど、台本って言うな。あと言わされてる感って言うな。
 トークは五分程度。ペイオフの話から貯金の話へ。それにしてもこの番組で貯金の話題が出てくるのは一体何度目なのだろう。

[ 食事 ] 部屋でポテトサラダを作る

 真夜中にポテトサラダが食べたくなった。
 ジャガイモ、卵、タマネギ、ハムをコンソメスープでしっかり煮詰めてから、麺棒で潰してマヨネーズを加える。なかなか美味しいポテトサラダになってくれました。しかしやっぱりポテトサラダはパンに挟んで食べたいなあ。今度ポテトサラダサンドウィッチを作ることにしよう。楽しみだ。

[ 花瓶 ] 041:花瓶を窓の外に置かない

 何があったとしても決して花瓶を窓の外に置いてはいけない。たとえ掃除中で花瓶が邪魔だったとしてもだ。戸棚を雑巾で拭くだけの間、ほんの二三分、花瓶を窓の外に置いておくだけのこと。何も問題ないよ、大丈夫だよ。悪魔はそう囁いてくるかも知れない。しかしそういう甘い考えは即座にキッチンのゴミバケツに投げ捨てることだ。悪魔は豚の貯金箱にでも入れて全力で窓から投擲するのが良いだろう。窓の外がどれだけ危険な空間なのか、正確に把握している者は少ない。もし仮に花瓶を窓の外に置くことにしたとしよう。窓を開ける。強い風が入ってくる。悪魔の怒りのような風だ。吹き飛ばされそうになる。雹の混ざった雨が部屋を濡らす。花瓶を取り出して、窓の外まで手を伸ばす。ゆっくりと深呼吸をする。雷の鳴る音が遠くに聞こえる。目を閉じる。手を離す。目を開ける。窓の下を覗き込む。花瓶が割れている。天空から悪魔の哄笑が聞こえる。割れた花瓶の横には倒れている人がいて、頭から血を流しながら、憎悪に満ちた顔で窓の方を睨み付けている。窓の外というのはそれくらい危険な空間なんだ。

2005/2/14 Mon

 そういうわけで今日から春休みです

 十一時半頃に起きる。しばらくぼーっとして、十二時半頃に部屋を出る。自転車で大学へ。途中、千駄木の松屋で昼食を取る。物理の図書室に行くものの、移転作業のために使えない。総合図書館でちょっと端末に向かい、ひたすらレポートを書く。太陽地球系物理学。ISの友人に会う。五時前には何とか書き上げて提出する。これで今学期のレポートはすべて終わり。運が良ければもう授業は取らなくて済むはず。果報は寝て待て。キシピ氏に電話するものの、今日は寝込んでいるとのこと。生協でパンを買ってサンのところで食べる。サンを呼んで、近くで屈んでいたら、膝の上に乗ってきた。サンが動こうとしなかったので、僕も動こうとしなかった。悪くない時間だ。自転車で御茶ノ水に行き、買い物をする。肉のハナマサ秋葉原店で生ベーコンを買っていく。自転車で部屋に戻ります。
 部屋の片付けをして、しばらくぼーっとしている。夕食は、チャーハンとカレー。チャーハンは、卵、ネギ、ホウレンソウ、ベーコン、ソーセージを使用。なかなか美味しい夕食でした。やっぱり僕はチャーハンが好きだなあ。ちょっとぼーっとして、お茶を飲んでレーズンサンドを食べる。またしばらくぼーっとしている。お風呂に入って洗濯をする。のんびりしています。のんびりしているのは悪くないものです。
 寝たのは五時頃でした。レポートが終わったので随分と気が楽になりました。そろそろ研究をがんばらないと。いつまでも怠けているわけにはいかない。

[ 食事 ] 御茶ノ水小川軒のレイズンウィッチを食べる

 二週間ほど前にも食べましたが、やはりこれは素晴らしいお菓子です。クッキーもクリームもレーズンも実に美味しい。これだけ満足感が得られるお菓子はなかなか珍しいですよ。御茶ノ水小川軒にはいつまでも、少なくとも僕が死ぬまでは、このお菓子を作り続けて欲しいものです。

[ 花瓶 ] 042:花瓶を裏返しにしない

 世の中には二通りの物体が存在する。裏返しにできる物体と裏返しにできない物体である。たとえばビニール袋は裏返しにできる。紙袋もできる。巾着袋もできる。寝袋もできる。手袋もできる。靴下もできる。帽子もできる。シャツもできる。スーツもできる。エプロンもできる。リュックサックもできる。旅行鞄もできる。ブックカバーもできる。段ボール箱もできる。ゴムホースもできる。ゴムタイヤもできる。竹かごもできる。木桶もできる。空き缶もできる。空き瓶もできる。スーツケースもできる。金庫もできる。生卵もできる。ゆで卵もできる。オレンジもできる。バナナもできる。リンゴもできる。パイナップルもできる。人体もできる。骸骨もできる。冷蔵庫もできる。ガスコンロもできる。自動販売機もできる。電柱もできる。建物もできる。都市もできる。地球もできる。宇宙もできる。言うまでもなく、花瓶もできる。割れるかも知れないが、宇宙が裏返しになっているんだ、それくらい気にするな。

2005/2/15 Tue

 ばさりと髪を切ってみました

 午後の二時頃に起きる。やってしまいました。まあ春休みですからね。春休みですから。しばらくぼーっとしている。ご飯と納豆を食べる。三時半頃に部屋を出て、自転車で西日暮里へ。髪を切りたくなったので、いつもの美容院に向かうものの、改装中で営業していない。やれやれ。仕方がないので別なお店を探して自転車でぶらぶらする。鶯谷でやっと見付けたので髪を切ってもらう。なんだか適当な切り方だったけど、値段が安かったので良しとしておこう。コンビニでアイスを買って食べる。自転車で部屋に戻ります。
 しばらくぼーっとしている。チョコレートを食べる。夕食。里芋ご飯、納豆、ひじきの煮物、サンマの塩焼き、イカの煮物を食べる。なかなか和食らしい和食ですね。長いことぼーっとしている。お風呂に入る。あまり気分は良くない。しばらくぼーっとしている。横になってもなかなか眠れない。地震がある。
 寝たのは朝の六時頃でした。まあ痛みも苦しみもない人生なんてどこにもありませんよ。これは合理化ではありません。甘えるな、という命令です。何も思うな。何も言うな。目を閉じて下を向いて歩け。

[ 食事 ] アイス「ラミー」を食べる

 ロッテ。チョコレート菓子ラミーのアイス版。子供の頃、ラミーはアルコールがきつくて苦手でした。これは本格的なラムレーズンのチョコレートアイスで、目新しいだけではなく実に美味しい。いいねえ、ラムレーズンチョコアイス。

[ 食事 ] チョコ「OLD JAMAICA」を食べる

 Cadbury。ラムレーズンチョコレート。美味しく頂きました。チョコレートは好物です。

[ 花瓶 ] 043:花瓶を身代わりにしない

 身代わりはいけない。身代わりはいけない。刀で斬られるかも知れない。槍で突かれるかも知れない。矢を打たれるかも知れない。手裏剣を投げられるかも知れない。縄で縛られるかも知れない。逆さに吊るされるかも知れない。火をつけられるかも知れない。土に埋められるかも知れない。川に流されるかも知れない。山に捨てられるかも知れない。自刃させられるかも知れない。介錯されるかも知れない。身代わりはいけない。身代わりはいけない。

2005/2/16 Wed

 まあ走れば転ぶことだってありますよ

 午後の二時頃に起きる。またやってしまった。ううむ。あまり好ましいことじゃない。どうも筋肉に疲れがあるような気がする。やれやれ。しばらくぼーっとしている。お腹が空いたので昼食を取ることにする。ポテトサラダ。あとパスタを茹でてインスタントのコーンポタージュスープに入れて食べる。手抜き料理である。長いことぼーっとしている。あまり気分は良くない。どうも寒気がする。手の指を見ると爪が紫色になっている。頭痛がする。横になって寝ることにする。
 やがて夜になってから起きて、またしばらくぼーっとしている。まだ頭痛は残っている。嫌だなあ。お風呂に入る。お腹が空いたのでご飯と納豆とイカの煮物を食べる。しばらくぼーっとしている。横になって寝ようとするものの、なかなか眠れない。
 寝たのは五時頃でした。良くない日ってのはあるものです。それは風邪のせいかも知れません。気圧のせいかも知れません。花粉のせいかも知れません。肩凝りのせいかも知れません。あるいは陰謀のせいかも知れません。悪意のせいかも知れません。自分のせいかも知れません。他人のせいかも知れません。でも結局、どれが原因でもあまり大差はないのでしょう。できる限りのことをするしかないのです。誠実さと忍耐強さと注意深さを見失わずに生きていきますよ、僕は。

[ 食事 ] 部屋でポテトサラダを作る

 ジャガイモ、卵、ベーコンをコンソメスープでしっかり煮詰めてから、スプーンで潰してマヨネーズとソースを加える。手元にタマネギがなかったので入れなかったのだけど、そのせいか味がちょっといまいちであった。残念。タマネギは重要だ。ドジスンの「鏡の国のアリス」におけるテニエルの挿絵くらい重要だ。

[ 花瓶 ] 044:花瓶を茶碗にしない

 お茶を飲む分にはまだいい。そういう使い方があっても良さそうだ。大抵の場合、花瓶は茶碗よりも容積が大きいので、お茶を入れ過ぎたときにも便利だろう。大は小を兼ねるのである。お茶が冷めても気にするな。多少味は落ちるかも知れないが、花瓶が割れるわけじゃない。ただ入れ立てのお茶を飲むときは、火傷しないように気を付けろ。水面をよく見て、ゆっくり慎重に花瓶を傾けるんだ。お茶が口元に落ちる。熱い。うまい。まあその程度のことだ。大したことじゃない。問題は、ご飯を食べるときである。まず盛る人が腹を立てることだろう。どうして私はこんな花瓶にご飯を盛らないといけないのだ。どうして私の夫の髪はあんなに薄いのだ。どうして私はあの日ポップコーン工場に行ってしまったのだ。そしてあの男と出会ってしまったのだ。花瓶には明確な殺意が向けられる。かなりの危機的状況である。これを切り抜けるのは並大抵のことではない。そしてもし仮にこの危機を乗り越えられたとしても、その先には更なる危機が待っている。今度は食べる人が腹を立てるのである。どうして私はこんな花瓶でご飯を食べないといけないのだ。どうして私の妻の腕はあんなに太いのだ。どうして私はあの日ポップコーン工場に行ってしまったのだ。そしてあの女と出会ってしまったのだ。またしても花瓶には明確な殺意が向けられる。もう絶望的だ。花瓶は恐怖に怯える。自分の中からご飯が少しずつ減っていくのを感じながら、両手を組み合わせて神様に命乞いをする。お願いです。どうか私を助けて下さい。いい子になりますから。そして箸がご飯に届かなくなったところで、花瓶の危機は頂点を迎える。箸の折れる音。怒鳴り声。食器。テーブル。棚。痛み。泣き声。花瓶は遥かなるポップコーン工場のことを思う。そこでは雨の日も風の日も無邪気なポップコーン達が純粋培養されているのである。ポップコーン達は何の疑問もなく生まれ、何の疑問もなく死んでいく。花瓶は遥かなるポップコーン工場のことを思う。そこにかつてあった、希望と不安と優しさのことを思う。

2005/2/17 Thu

 いいですね、ドビュッシーの管弦楽

 午後の一時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。イカの煮物にインスタントの味噌汁を加えて食べる。これはこれで美味しい。部屋を出たのは二時半頃。自転車で西日暮里、電車で代々木上原。コンビニでお菓子を買っていく。研究室ではコーヒーを飲んでお菓子を食べてぼーっとしている。今度の研究についてボスと話し合いをする。さて、どんな計算をしようかな。楽しみだ。そりゃ不安も腐るくらいあるけれど、何もせずに部屋の隅で震えているよりは、開き直って突き進んだ方が僕らしいですからね。手始めに本を読むことにしよう。コーラを飲む。しばらくぼーっとしている。お腹が空いたのでクラッカーを食べる。友人とメールをする。お互いに「がんばれ」と言い合う。
 日記を書きます。八時半過ぎ。帰ります。三十六個のグリーン関数が僕を呼んでいます。

 研究所を出て、歩いて代々木上原、電車で西日暮里、自転車で部屋。夕食を取る。サツマイモご飯、ニシンの塩焼き、油揚げの袋煮を食べる。とても美味しい夕食でした。洗い物を済ませて、お風呂に入る。しばらくぼーっとしている。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。のんびりしています。ドビュッシーの管弦楽を聴く。横になって寝ようとするものの、なかなか眠れない。しかしそれもそこまで不快なものではない。しばらくぼーっとしている。
 寝たのは五時頃でした。ラヴェルが編曲したドビュッシーの「ダンス」は、主題の再現部がなかなか面白かった。こんな音が聞こえていたのか、ラヴェル。あとキャプレが編曲した「子供の領分」もなかなか楽しめて、なかんずく「小さな羊飼い」が良かったですね。ピアノだと最も印象に残らない曲が、管弦楽だと最も印象に残る曲になるのだから面白い。ピアノの場合だと僕は「ジャンボーの子守歌」が好きです。どれくらい好きなのかは去年の十月に書きました。

[ 食事 ] お菓子「ほがら菓たいむ 割れむき甘栗」を食べる

 甘栗です。カロリーが低いのがありがたい。栗は好きです。ほっとする味です。

[ 花瓶 ] 045:花瓶をソーサーにしない

 もしもカップを置くのが楽観主義者であるなら、きっと花瓶の口はカップよりも小さいことであろう。運が良ければ手を離しても何も起こらずに済む。そしてカップをまた手に取ったところで花瓶が倒れて割れる。それを見て慌ててしまい、お茶をこぼして火傷をする。そういうものだ。もしもカップを置くのが悲観主義者であるなら、きっと花瓶の口はカップよりも大きいことであろう。運が良ければカップが花瓶に落ちるだけで済む。そしてそれを飲もうとしたところでお茶を浴びて火傷をする。その熱さに驚いてしまい、花瓶を落とし花瓶は割れる。そういうものだ。どちらにしても、火傷はする、花瓶は割れる。違うのは順番だけだ。

2005/2/18 Fri

 ごめんよ「Too Long Shoelaces」

 十一時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。眠い。今日は曇っている。ご飯と納豆を食べる。これだけで幸せになれる安い自分がいる。いいじゃないですか、納豆ご飯。美味しいですよ。部屋を出たのは十二時半頃。自転車で西日暮里、谷中、根津。上野公園から上野へ。お菓子の王国、二木の菓子、大和物産で買い物をしていく。御茶ノ水まで行き、新御茶ノ水から電車で代々木上原、歩いて研究所。体調があまり良くない。ううむ。研究室に着いたのは二時半前。コーヒーを飲む。ネットワークの調子がおかしい。三時から四時半過ぎまで研究室セミナー。終わるとネットワークはまた正常に機能している。不思議だ。お腹が空いたのでクラッカーとお菓子を食べる。
 日記を書きます。六時半過ぎ。それじゃお仕事に行ってきます。

 歩いて代々木上原、電車で新御茶ノ水、御茶ノ水から電車で小岩。スーパーで飲み物とおにぎりなどを買っていく。八時から十二時までピアノのお仕事。最初にドビュッシーの「ピアノのために」より「サラバンド」を弾く。あとはいつものようにジャズを弾いたり即興演奏をしたり。のんびりしていました。何曲かリクエストされたので、適当に片付ける。新しい曲が降ってきたので転がして遊んでみる。これは僕らしい曲だ。ちょっと「深緋」に似ている気がする。休み時間には本を読む。お仕事を終えて、電車で御茶ノ水。雨が降っているので自転車の回収は諦める。新御茶ノ水から電車で町屋、走って部屋に帰ります。サツマイモご飯と粕汁を食べる。粕汁、美味しいなあ。また食べたい。お風呂に入る。しばらくぼーっとしている。
 日記を書きます。四時。どうでもいいことをひとつ。昨日の日記で「主題の再現部」と書いていたのだけど、それだけではどこを指しているのか明らかでない。ドビュッシーの「ダンス」では、冒頭の主題は二度再現されているからだ。そもそも再現部という言葉はソナタのための用語ではなかろうか。まあいいや。僕が言いたかったのは、穏やかな中間部の入る直前、冒頭の主題がフォルティッシモで奏されるところのことです。

 しばらくぼーっとして、寝たのは六時頃でした。やっぱり「サラバンド」は良いものですね。

[ 研究 ] 研究室セミナーでボスの発表

 RANS/LESハイブリッドフィルターの差分近似について。なかなか面白い話であった。これまでにボスが研究してきたハイブリッド計算が、Germanoによって定式化されたハイブリッドフィルターの差分近似であったという内容。確かにそう言われれば、ちょっと漠然としているけれど、分かりやすいような気がする。しかしハイブリッドフィルターの重み分布のような関数を、三次元に拡張してあらゆる形状の壁に適応できるようになったら、すごいなあ。夢のようだ。まあそれだけで何もかもが解決するわけではないけれど。広い世界だ。

[ 花瓶 ] 046:花瓶を人質にしない

 花瓶を人質にしてバスジャックをするのは、あまり賢明な行為とは言えない。第一に花瓶にはバスを運転できる者がいない。世界中のありとあらゆる花瓶に調査がなされたわけではないが、少なくとも花瓶が運転免許証を取得したという記録は見付かっていないようだ。第二に花瓶には生理現象がない。これに関しては手間が掛からなくて済むという一面もあるが、一方で交渉の長期化を許してしまうことになる。花瓶が空腹を訴えて泣き出すことはないのだ。第三に花瓶は威圧されることがない。いつ殺されるかも分からないという恐怖感によって、人質は抑え付けられるものである。恐怖を感じることがない花瓶を制圧するのは容易なことではない。第四に花瓶は人命に匹敵する価値を持ちにくい。もし身代金などを要求しても無視されてしまう危険性がある。これでは単に借りたバスに花瓶を持って乗り込んだだけの間抜けな奴である。第五に花瓶は割れたら決して元に戻らない。人間が相手なら少しばかり手荒な真似をしても、いつか傷も癒えるという保証がある。しかし割れてしまった花瓶が元に戻ることは決してない。もしも自分に向けて打たれた麻酔銃が花瓶に当たってしまったら。バスジャック犯は刑務所の中で自分のしたことを一生後悔し続けることであろう。

2005/2/19 Sat

 いいですよ、国際子ども図書館

 お昼の一時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。雨が降っている。ちょっと寒いなあ。ご飯と納豆を食べる。二時過ぎに部屋を出る。上野に行ってくる。戻ってきたのは七時頃。疲れました。しばらくぼーっとしている。お菓子を食べる。夕食は、ご飯、納豆、きのこスープ。満腹です。悪くない夕食でした。またしばらくぼーっとしている。お風呂に入って、洗濯をする。
 日記を書きます。十二時半。どうでもいいことですが、今日キシピ氏は妹さんがブックオフで買い込んできた「ドラえもん」を読みふけっていたそうです。やるな。明日は友人が東京にやってくるので一緒に酒を飲む予定。

 ベーコンと卵を炒めて食べる。カレー味。なかなか美味しい。また長いことぼーっとしている。横になってもなかなか眠れない。あまり良い気分ではない。やれやれ。
 寝たのは五時頃でした。なんだかミヒャエル・エンデの小説が読みたくなってきましたよ。

[ 外出 ] 上野の国際子ども図書館に行く

 小雨が降る中を歩いて、三河島、鶯谷。高台にある上野桜木へ。この辺りは風格のある家が多いなあ。こういうところに住みたいもので。寛永寺を通って、国際子ども図書館へ。意外と近いものですね。館内の児童書を眺めて歩く。大人が読んでも十分に楽しめる本ばかりのような気がする。むしろ子供がここに来てもあまり面白くないのではなかろうか。ミュージアムでの展示は「本にえがかれた動物展II十二支を手がかりに」であった。疲れたのでカフェテリアでオレンジジュースを飲んでミックスサンドを食べる。割と安いカフェテリアであった。閲覧室で本を読む。なんとなくキャロルの「不思議の国のアリス」を少し読む。個人的には小峰書店の「88 keys スタインウェイピアノができるまで」という本がやたらと気になってしまった。これは児童書ではないなあ。閉館時刻になったので外に出る。それにしても空間の使い方が贅沢な図書館であった。また来ることにしよう。
 雨が強くなっている。上野公園を歩いて東京文化会館へ。音楽資料室に行ってちょっと本を眺める。やがて上野駅へ。ステーションギャラリーで、東京芸大「ストリート!2005」展を見る。前衛的な作品があれば、落ち着いた絵画もある。量は少ないけれど、なかなか面白くて良かった。アトレに関するアンケートに答えて商品券をもらう。折角なので早速使ってしまうことにする。ザ・ガーデンでお菓子と黒胡椒を買う。電車で三河島。買い物をしてから部屋に戻ります。

[ 食事 ] お菓子「バタークリスプ」を食べる

 JULES DESTROOPER。バタービスケットです。ベルギー王室御用達とのこと。パリパリしていて確かに美味しいのだけど、二週間前に食べた同じビスケットには劣る気がする。あのときの感動的な味はここにはないようだ。何故だろう。二週間前と違うのは僕の方なのかビスケットの方なのか。

[ 花瓶 ] 047:花瓶を潜水艦にしない

 それは実に大きな花瓶だった。高さが二メートル半はあるだろう。大の大人が三人は入れそうな大きさだ。真っ白な壁面に模様は一切なく、ただ小さな赤い文字で第一級花瓶型潜水艦紅花白水丸と書かれていた。達筆な字だった。花瓶は甲板の上で横倒しになっていて、その隣には敬礼のポーズで直立不動を崩さない、山本の姿があった。眼鏡が強い日の光を照り返し、白い服が海の風に揺れていた。山本は相変わらずの真面目腐った表情で、何の迷いも疑いもないような目をしていた。どうやら奴は東京に向かって敬礼をしているようだ。もういいだろう、と俺は怒鳴った。山本は俺の方に向き直ると、小さくその坊主頭を下げた。山本は屈み込んで花瓶の中に入り、口に取り付けられた窓を閉めた。俺の方を見て小さく頷く。俺は花瓶を固定していたロープを外すと、花瓶を少し転がしてから水面に向けて蹴り落とした。海に入る瞬間、花瓶の口から中が見えた。山本が笑っていたような気がした。気が狂った奴の考えることはよく分からない。飛沫が上がり、それも消えた。俺は甲板に横になると、よく晴れた空を眺めた。山本の奴は、三時間経っても戻ってこなかったら帰れ、と言っていた。三十分で帰るつもりだった。それでも俺はすぐに眠り込んでしまい、起きたときにはきっかり三時間が経っていた。俺は立ち上がった。何も変わったところはなかった。山本はどうなったのだろう。鯨に食べられたのかも知れないし、水圧で潰れたのかも知れない。花瓶に水が入り込んできて溺れ死んだのかも知れない。しかしそんなことはどうでも良かった。とても暑かった一日も終わろうとしていた。俺は海を見た。そして拳を握った。夕方の海に浮かんでいたのは、達筆な字が書かれた花瓶の欠片と、山本の黒縁眼鏡だった。

2005/2/20 Sun

 ハンカチで頭を冷やして

 お昼の一時くらいに起きて、しばらくぼーっとしている。空は曇っている。ご飯を食べる。ちょっと頭痛がする。二時過ぎに部屋を出て、高田馬場に行き、新宿に行く。友人と酒を飲む。戻ってきたのは九時過ぎ。コーヒーを飲んでケーキを食べる。シフォンケーキとアップルパイ。とても美味しかった。しばらくぼーっとしている。なかなか悪くない時間である。やがてテレビに向かって「ガキ」を見る。お風呂に入ってしばらくぼーっとしている。チャーハンを作って食べる。横になるものの、なかなか眠れない。あまり気分は良くない。頭痛がする。朝の八時頃にかーさまから電話がある。
 寝たのは朝の九時頃でした。まあ生きていれば希望も絶望もありますよ。横断歩道の白いところだけを踏んでいくわけにはいかないんですよ。それでもこうやって生きているんだからいいじゃないですか。

[ 外出 ] 友人に会いに新宿まで行く

 部屋を出て、歩いて町屋。小雨が降り出してきてちょっと憂鬱。ビアードパパでエクレアを買う。都電荒川線で学習院下へ。ここはよく自転車で通っていたので懐かしい限りです。のんびり歩いて新宿に向かう。ちょっと雨が強くなってくる。高田馬場の裏道から諏訪神社の辺りはなかなか雰囲気が良いですね。ちょっと戸山公園を通って、明治通りを南へ。雨は弱くなってくる。お団子を買って歩きながら食べる。なかなか良いお団子であった。
 新宿では伊勢丹に行き、春の東ヨーロッパ絵画展を見る。のんびりと絵を見させて頂きました。いいなあ、地中海。ギリシャに行ってみたい。チェコにも行ってみたい。地下の食品売り場を歩く。五時半頃に新宿南口で友人と待ち合わせ。遅れて済みません。HUBに行ってお酒を飲む。色々と話をする。ちょっと言葉が多すぎたような気がする。あまり好ましいことではなさそうだ。歩いて新宿の西側へ。ケーキを買っていく。友人と別れる。電車で西日暮里、歩いて部屋に戻ります。

[ 食事 ] ビアードパパのエクレアを食べる

 なかなか美味しい。エクレアは良いですね。コージーコーナーのエクレアの良きライバルといった印象を受けました。皮に関してはこちらの方が上かな。ビアードパパは町屋に来たときの楽しみのひとつです。

[ 食事 ] 新宿「HUB」に行く

 友人とHUBの新宿南口店へ。ファジーネーブル、ワインクーラー、ピーチクーラー、レーベンブロイを飲み、フィッシュ&チップス、ラムケバブ、オムソバを食べる。美味しいお酒と食事を頂きました。満足。しかしここの料理はどれもよくお酒に合いますね。好きだなあ、こういうの。どうでもいいけれど、レーベンブロイは近所のバーでよく飲んでいたので、ちょっとした思い出のビールなのです。

[ ガキ ] 熱血指導! 浜田がママさんバレーの監督に!?

 田島、初っ端から言っていることの意味が分からないよ。
 今回は浜田がママさんバレーの監督になっているというもの。シュールだ。この上なくシュールだ。しかし怒鳴る姿がはまり過ぎだよ、浜田さん。しかし何故いるんだ、おばちゃん。赤ウィンナーとはよく言ったもので。とにかく最初から最後まで浜田の独走状態であった。どうして胴上げしているんだ。どうして胴上げできていないんだ。がんばれ、遠藤。負けるな、遠藤。
 トークは、二十人制のサッカー、ウルトラハムニダ、お揃いの衣装について。ポジションは、エキゾチック・アタッカー、ジーコ・ファン、ED。やっぱりこういうネタをやらせると松本さんはうまいなあ。
 次週は山崎とモリマンの対決。この対決の良いところであり悪いところでもあるのは、全く結末が気にならないところだと思う。ある種の徹底された勧善懲悪なのかも知れない。

[ 花瓶 ] 048:花瓶をソテーにしない

 花瓶に塩、胡椒をして、小麦粉をまぶし、バターで炒めようなどと考えてはいけない。フライパンをちょっと激しく動かしたら割れるに決まっている。花瓶を割らずに炒められる確率は、登山の素人が軽装でエベレストを登頂できる確率よりも低いだろう。万が一うまく炒めることができたとしても、お皿にちょっと激しく盛り付けたら割れるに決まっている。花瓶を割らずに載せられる確率は、遠泳の素人が軽装で太平洋を横断できる確率よりも低いだろう。万が一うまく載せることができたとしても、フォークでちょっと激しく突き刺したら割れるに決まっている。花瓶を割らずに食べられる確率は、旅行の素人が軽装で大気圏を突破できる確率よりも低いだろう。とにかく、花瓶をソテーにしてはいけない。何かが確実に間違っている。もう花瓶が割れるとか割れないとか、そういう問題じゃないんだ。

2005/2/21 Mon

 美味しいカレーを作ろうじゃないか

 午後の四時半頃に起きて、しばらくぼーっとしている。ちょっとどうかと思う起床時間だけど、まあ時にはそういう日だってあることだろう。のんびり生きていきますよ、僕は。近所のスーパーに行って買い物をする。夕食にカレーライスを作って食べる。とても美味しいカレーライスであった。しばらくぼーっとしている。なかなか悪くない時間である。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。ちょっとお腹が空いたのでご飯と納豆を食べる。お風呂に入る。近くの自動販売機でジュースを買ってきて飲む。
 午前の三時過ぎには横になって寝ます。まあ美味しいカレーライスが食べられたのだから、きっと今日は良い日なのです。

[ 食事 ] 部屋でカレーを作る

 タマネギとニンニクはオリーブオイルでしっかり炒める。鶏肉、ジャガイモ、ニンジンはコンソメスープで煮込む。黒胡椒、バジル、ナツメグ、カレー粉、ガラムマサラで香りを付ける。カレールーを入れようとしたところで、部屋にはもうルーがないことに気付く。やれやれ。近所のスーパーに行って買ってくる。ルーを入れて、カレーは完成。ご飯と一緒に食べる。とても美味しい。やはりタマネギを炒めて良かった。またこういう美味しいカレーを作りたいものです。そういえば以前、ナッツカレーを作ったことがあったなあ。あれはあれで割と美味しかった。

[ 花瓶 ] 049:花瓶をムニエルにしない

 ある日、家に帰ると妻がおかしなことを言い出した。花瓶のムニエルが食べたい。何だって。花瓶のムニエルが食べたいの、作って。私は溜息を吐いた。妻がおかしなことを言い出すのは昨日今日に始まったことではない。新婚旅行には南アフリカ共和国のヨハネスブルグに行きたいと言い出した。去年の誕生日はフタバスズキリュウの卵の化石が欲しいと言い出した。クリスマスプレゼントは空を飛ぶトナカイがいいと言い出したことだってある。花瓶のムニエルくらい、特に驚くべきことではないのかも知れない。私は居間の隅に置いていた花瓶を手に取った。先日の旅行の折に青森で見付け、妻が大層気に入ったので買った一品である。逆さまにしたら何故かビー玉と十円玉が出てきた。台所に行き、ボールの中に花瓶を置いて、塩と胡椒を小麦粉を取り出す。下準備を済ませてから、油を引いたフライパンの上に花瓶を置いた。しっかり焼いてからバターを加える。いい匂いだ。夕方の路地裏を歩いている足が止まってしまう匂いだ。そういえば旅行のとき、旅館での夕食に舌平目のムニエルがあり、妻はその料理を大層気に入っていた。なるほど、そういうことか。しかしだからといって、普通は好きな花瓶と好きな料理を同一視するものだろうか。私にはよく分からない。妻は普通なのだろうか。私は普通なのだろうか。私にはよく分からない。私はお皿に花瓶のムニエルを載せて居間に戻る。妻はナイフとフォークを持って待っている。

2005/2/22 Tue

 痩せた猫と太った猫がいました

 十一時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。今日は良い天気である。のんびりしています。ちょっとだけカレーを食べる。部屋を出たのは一時半頃。目黒の自然教育園に行く。戻ってきたのは七時半頃。夕食を取ることにする。カレーライスを食べて、カレーパスタを食べる。美味しいカレーでした。また食べたいなあ。リンゴを食べて、ちょっとぼーっとしている。部屋を出てレンタルビデオ屋さんに行き、帰りに近所のスーパーに寄る。部屋に戻って、またちょっとぼーっとしている。鶏肉ハムを作る準備をする。お腹が空いたので納豆を食べる。お風呂に入る。サンドウィッチを作る。
 日記を書きます。二時半。サンドウィッチを食べてお酒を飲んで寝ます。

 サンドウィッチを食べて、お酒を飲む。三時過ぎに寝ます。よく動き回ったので疲れました。よく遊んだ火曜日でした。

[ 外出 ] 目黒の自然教育園に行く

 部屋を出て、走って西日暮里、千代田線で国会議事堂前、溜池山王から南北線で目黒。ちょっと歩いてドトールで昼食を取る。なかなか美味しいサンドウィッチとコーヒーであった。色々とお店を眺めて歩き、東京都庭園美術館に行く。美術館は高いので入らず、庭園を眺めて歩くだけにする。なかなか雰囲気は悪くない。芝生が良いですね。見上げた空がとても青い。猫がいたのでちょっと遊んでもらいました。今度は隣にある自然教育園に行く。ここは実に良いですね。どこも自然がいっぱいで、とても山手線の内側にいるとは思えません。緑の中には大きな松の木が立ち、水辺ではムクドリが飛んでいる。白梅と紅梅は鮮やかな色で、足元では青い冬の花が咲いている。園内をゆっくり散歩します。良い気分です。ただひとつ難を言うならば、首都高が近すぎることですね。騒音が気になる。これで静かだったら本当に田舎の山の中にいるみたいな気分を味わえたことでしょう。
 自然教育園を出て、近くにあったザ・ガーデンで買い物をする。恵比寿ガーデンプレイスに向かうことにする。途中、パン屋さんでパンを買って食べて、恵比寿の住宅地を歩く。ここもなかなか雰囲気が良いですね。申し合わせたかのように大抵の家の敷地に木が植えてあるのが良い。しかしここも首都高が近いのがちょっと嫌だなあ。もちろん、高速道路なんて廃絶してしまえばいい、なんて言うつもりはありませんけれど。恵比寿ガーデンプレイスを歩く。ビールが飲みたかったけれど、高かったので止めておく。こうやって僕はお楽しみを後に取っておくのですよ。歩いて恵比寿。成城石井に寄るものの、高いので何も買わない。ハーゲンダッツでアイスを買って食べる。日比谷線で霞ヶ関、千代田線で新御茶ノ水。自転車を回収する。駐輪禁止のステッカーが貼られていた。済みません。自転車で帰ることにする。西日暮里のレンタルビデオ屋さんに寄ってから、部屋に戻ります。

[ 食事 ] 部屋でサンドウィッチを作る

 ツナ、クリームチーズ、マーガリン。お酒を飲みながら食べます。ツナサンドが実に美味しかった。作り方はいつもと同じで、マヨネーズ、バジル、黒胡椒、塩少々を缶詰のツナに加えるだけなのだけど、多分ツナ自体がいつもよりも良かったのでしょうね。美味しいツナサンドが食べられるのは幸せなことです。クリームチーズとマーガリンはずっと大人しい味だけど、決して悪い印象は受けない。食パンが美味しいとこういう地味な味付けでも十分楽しめますね。良い夜食でした。

[ 花瓶 ] 050:花瓶を食べない

 私は悪い子なんです。だから死ななきゃって思ったんです。でもどうやったら死ねるのか分からなくて。ほら、映画だと首を吊ったりリスカしたりするじゃないですか。そういうのって怖くて。苦しいのとか痛いのとかは違うなって気がしたんです。薬を使えば楽に死ねるらしいですけど、でも薬とかって手に入れるのに、処方箋ですか、なんだか手続きが面倒らしいじゃないですか。そういうの苦手なんで。それで、身近にあるものを使って死のうって考えたんです。分かりますよね。ほら、チラシの裏をメモ用紙にしたり、マグカップを植木鉢にしたり、ペットボトルをダンベルにしたりするじゃないですか。そういうのと一緒ですよ。先生も身近なものをうまく利用しろって言ってました。それで、洗剤を飲んだら死ねるかなって思ったんです。台所にあったのを飲んだんですけど、我慢できなくて吐き出しちゃって。でも私、それからご飯を食べるのを止めて、色々なものを食べるようになったんです。洗剤は割とすぐに慣れました。レモンの味がしました。色々食べたんですよ。私、家の庭が大好きだったから、花とか草とか土とか石とか食べてみました。でも好きなものを食べて死のうなんて、ちょっと違いますよね。煙草は毒物だって先生が言ってたから、お父さんの煙草を食べてみたこともあります。でも何時間待っても死なないからなんだか腹が立って。先生の嘘吐き。折角マッチ棒まで食べたのに。お箸とかお椀とかも食べてみたんです。カーペットや窓ガラスも食べてみたんです。縫い針も待ち針も食べてみたんです。だけど死ねなくて。色々食べたんですよ。普通なら絶対に死んでますよ。でも死ねないってことは、私は悪い子だから死ななきゃいけないのに、死ねないってことは、あまりに悪い子だから死ぬことも許されないのかなって思って。泣いちゃいました。それから、花瓶を食べることにしたんです。花瓶を手に取ったときに、やっと出口に辿り着いたことに気付きました。花瓶はいつもお母さんが大事にしてたんです。お母さんが死んだとき、一緒に棺桶に入れてあげようかってお父さんは言ってたけど、私は嫌だって言ったんです。花瓶はお母さんの思い出だから。そうです。花瓶は、お母さんは、ずっと私を見守ってくれていたんです。お母さんはずっと私を呼んでいたんです。私が気付いていなかっただけで。花瓶を食べれば私は天国に行けるんです。お母さんが私を天国に連れてってくれるんです。

2005/2/23 Wed

 豪華な夕食と不快な気分

 起きたのは一時半頃。今日はとても良い天気である。空気も暖かく、春の訪れを思わせる。身体がちょっと疲れているのか、ふらふらしてしまう。頭の調子は別に悪くないようだ。しばらくぼーっとしている。布団を干す。納豆と卵でご飯を食べる。部屋を出たのは二時半頃。自転車で西日暮里、電車で代々木上原、歩いて研究所。研究室ではコーヒーを飲み、クッキーを食べる。のんびりしています。本を読む。
 日記を書きます。六時。今日は研究所のノー残業デーらしいです。英語で書くと No Zangyou Day ですね。

 本を読んで、クラッカーを食べる。日記を書きます。八時半。帰ります。ご飯を食べて、映画を見よう。

 歩いて代々木上原、電車で西日暮里。ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を読み終える。自転車で部屋。夕食を取る。稲荷寿司、鯖の塩焼き、芋きんとん、ほうれん草のおひたし、卵入り味噌汁。豪華な夕食でした。とても美味しかった。洗い物を済ませて、コーヒーを飲む。
 日記を書きます。十時半。それじゃ、映画でも見ることにしますかね。

 お風呂に入って、映画を見る。しばらくぼーっとしている。横になっても眠れない。気分はあまり良くない。
 寝たのは朝の七時頃でした。まあ胃が痛い日だってありますよ。だけどこんな人生も自分で望んで得たものですからね。美味しい料理を作って食べたら、後片付けをしなければいけない。それが嫌なら何も作らず何も食べないことだ。

[ 研究 ] Biskampを読む

 pp.1-pp.6。イントロダクション。きちんと最初から読むことにしました。

[ 読書 ] ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」集英社文庫

 チェコのプラハ。一人の男が、中庭の向こう側にあるアパートの壁を眺めているところから、この小説は始まる。男はこれから自分の人生がどんな方向に進んでいくのかを知らない。ただ大きな分岐点を迎えたことを漠然と意識しているだけだ。男は自分が予想もしなかった未来に辿り着くことを知らない。そしてその先に、どんな幸せと、どんな不幸せが待っているのかも知らない。人々の人生は奇妙に錯綜し、それぞれが自らの考えを信じて歩き、歴史の流れは暴力的に彼らを包み込んで、やがては取り返しの付かないことになっていく。誰もが痛みを知り、悲しみを知る。その先に待っているものは何なのだろう。
 少なくともある一面においては、この作品は軽さと重さについての小説である。重さを信じる人間はただひとつの正解に向かって突き進む。歴史はスケッチではなく、完成した絵であると考える。永劫回帰の中で数限りなく繰り返されることを恐れない。逆に軽さを信じる人間は迷いながらも天空に舞い上がる。歴史は埃や羽のように耐え難く軽いものであり、人間は偶然で構成された世界に浮かぶ泡に過ぎないと考える。どちらが正解でもない。しかし様々な人間の行動を、このような軽さと重さといったモデルによって、説明付けることは可能であろう。知ってか知らずか、人間は軽さと重さによって動かされている。この小説は、そのようなモデルによって人生を説明しようという、ひとつの画期的な実験であると言えるかも知れない。
 モデルは軽さと重さだけではない。この小説では様々なモデルが提案され、採用され、実装されている。人間を支配しているもの、人間を駆り立てるもの、人間を束縛しているもの、人間を抑え付けるもの、モデルはそういったものを解き明かしていく。もちろんそれだけがこの小説の読みどころではない。もしモデルが何もなかったとしても、人物の言動や意図に一切説明がなかったとしても、この作品は十分に面白い物語性を持っている。夢の場面に出てくる幻想的あるいは妄想的な描写も素晴らしい。現実か想像か分からない、そんな不安な感覚も痛いくらいに伝わってくる。人々の苦しみは積み重なり、読む者の胸に突き刺さる。この小説の魅力は、濃密な物語の面白さと緻密なモデルの力強さ、その両方にあると言えるだろう。
 最後に、この作品で最も印象的だった一文を引用したい。

あらゆることを判断するたった一つの基準、それは、彼女を傷つけるかもしれないことを何ひとつしてはならないということである。

 トマーシュが何をどう考えていたのか、分かるような気がするけれど、僕にはうまく説明できない。ただ彼は重さを否定してから、軽さをも否定してしまった。そして心地良い重みを肯定することを受け入れたのではないだろうか。それが彼にとって最良の判断だったのかどうかは分からない。そんなことは誰にも分からないのだ。ただ軽さも重さも、人を傷付けるときがあれば、人を救い出すときだってあるのだろう。

存在の耐えられない軽さ 存在の耐えられない軽さ』 文庫
集英社(集英社文庫)
著者:ミラン クンデラ(著),Milan Kundera(原著),千野 栄一(翻訳)
発売日:1998/11, 価格:\860, サイズ:15 x 11 cm

--出版社/著者からの内容紹介--
苦悩する恋人たち。不思議な三角関係。男は、ひとりの男に特別な感情を抱いた。鮮烈でエロチック…。プラハの悲劇的政治状況下での男と女のかぎりない愛と転落を、美しく描きだす哲学的恋愛小説。

[ 映画 ] 「日の名残り」”THE REMAINS OF THE DAY”

 二十年もの時間が流れれば、大抵のものは過ぎ去っていってしまう。そこにまだ漂っているのは、在りし日の名残りだけだ。淡く、懐かしく、戻らない。これはそんな名残りを追いかけた一人の執事の短い旅物語であり、そこに付随する長い過去の物語である。
 この作品全体のテーマとなっているのは、間違いを犯さない人間はいないということだ。主人も執事も女中も間違いを犯してしまい、そして誰もが後悔することになる。確信を持って正しいと信じて立ち振る舞ったのに、それが間違っていたと気付かされた絶望感。しかしそれでも人は生き続けなければならないし、自分のすべきことをしなければいけない。ただ後悔を胸の奥に仕舞い込んで、誰も見ていないところで静かに泣くのだろう。あるいは、こっそり誰かにそのことを打ち明けるのかも知れない。それでも救いがもたらされるわけではなく、苦い思いを噛み殺して明日に向かうしかないのだ。

"But still there are times when I think what a terrible mistake I've made with my life."
"I'm sure we all have these thoughts from time to time."

 旅の終わりにはまた格別な思いが待っている。雨のバス。そして名残りは果てを迎えるのだ。
 この映画の見所としては何といっても、古き良き英国貴族の栄華の極みが挙げられるであろう。広大な敷地、壮麗な屋敷。完璧を絵にしたような空間。そこで生き生きと働く沢山の人々。晩餐会の準備をするシーンなど実に素晴らしい。溜息が出てくるばかりである。映画を見た誰もが失われた時代に思いを馳せることだろう。そしてアンソニー・ホプキンスの演技がまた見事である。この名優が主人公であるからこそ、この作品は成立しているとさえ言えるだろう。常に自分の感情を押し殺し、最高の執事であろうとする。自虐的に見えても良さそうなのに、決してそう感じることはない。ただそこにあるのは、曇りも濁りもない、真摯で透明な信念である。こんな人間を見せてくれる俳優が、世界にどれだけいるのだろう。
 個人的に印象的だったのは、晩餐会で執事と女中が話すとき、二人の顔が暗くて見えなくなるところ。うまい演出である。目に見えるものだけがすべてではない。表情が見えないからこそ、隠されていたものが見えてくる。しかしまた顔が見えたときには、それはもう既に終わっているのだ。
 しかしホプキンスなので執事がレクター博士にしか見えなかったのだけど、これは何とかなりませんかね。

日の名残り~コレクターズ・エディション 日の名残り~コレクターズ・エディション』 DVD
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
出演者:アンソニー・ホプキンス, その他
監督:ジェームズ・アイボリー
発売日: 2002/10/23, 価格:\3,990, 時間: 134 分

音声: 英語
音声仕様: Dolby Digital 5.1
字幕: 英語
画面サイズ: シネマスコープ
--内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)--
英国に帰化した日本人カズオ・イシグロの小説を、『眺めのいい部屋』『モーリス』などで知られる監督ジェームズ・アイヴォリーが豪華俳優を配して映画化。

[ 花瓶 ] 051:花瓶にそれよりも一回り大きい花瓶を入れない

 花瓶は非圧縮性であるとする。それは即ち、連続体近似の下で花瓶の各点における質量密度が等しくかつ不変であるということである。もしも質量保存則が成り立つとすれば、任意の微小空間における質量の流入量と変化量は等しいので、積分形式の関係式を得ることができ、そこにガウスの定理を適応することによって、微分形式の関係式を得ることができる。つまり、速度場と質量密度の積の発散が質量密度の時間偏微分の符号を変えたものに等しいことが分かる。これが連続の式である。そして質量密度が空間的にも時間的にも一様であることを仮定すると、速度場の発散が恒等的にゼロになることが分かる。これがいわゆるソレノイダル条件であり、波数空間においてこの条件は速度場と波数ベクトルが直交していることに対応する。しかしそんなことはどうでもいい。とにかく、入らないから、入れるな。

2005/2/24 Thu

 雨が降るなんて聞いてませんよ

 起きたのは午後の二時半頃。やれやれ。しばらくぼーっとして、部屋を出たのは三時頃。自転車で西日暮里、電車で代々木上原。松屋で昼食を取る。外食してしまった。良くないな。歩いて研究所。コーヒーを飲んで、しばらくぼーっとしている。お菓子を食べる。本を読み進める。どうも集中できない。嫌だなあ。
 日記を書きます。九時過ぎ。帰りますかね。あまり気分が良くない。

 外に出ると雨が降っている。走って代々木上原、電車で西日暮里、自転車で部屋。夕食を取る。黒豆ご飯、味噌汁、稲荷寿司。美味しい夕食でした。鶏肉ハムの塩抜きをして、オーブンと鍋で加熱することにする。
 日記を書きます。十二時。鶏肉ハムの完成が楽しみです。明日が待ち遠しい。

 しばらくぼーっとして、お風呂に入る。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったり。ある程度冷めた鶏肉ハムを冷蔵庫に移す。机に向かって簡単な計算をする。お腹が空いたので芋きんとんを食べる。
 寝たのは三時半頃。なかなか眠れませんでしたが、冷蔵庫の鶏肉ハムのことを考えていたら、まあなんとか眠ることができました。

[ 研究 ] Biskampを読む

 pp.6-pp.15。もっとさくさく読んでいかないと。手を動かして計算を追っていく。しかし hyperdiffusion の発想はなかなか面白いけれど mathematical や physical というよりは computational な立場を基とするものに見えますね。まあ素人見解ですけれど。

[ 花瓶 ] 052:花瓶に知恵の輪を入れて気の短い人に渡さない

 知恵の輪を外さないと花瓶から取り出せない、というものだったら間違いなく割れるだろう。割れない方がどうかしている。もしこれで割れないとしたら、それは花瓶の定義か知恵の輪の定義に反しているに違いない。しかしそうでなくても割れる危険性がある。つまり、花瓶とは全く関係ない知恵の輪が花瓶に入っていて、それを解こうとしてもなかなか解けないので、八つ当たりで花瓶が殴られるという危険性である。もしかしたら知恵の輪がなくても、八つ当たりで花瓶は殴られるかも知れない。とにかく、気の短い人は恐ろしい。

2005/2/25 Fri

 ノートパソコンを見に行こう

 朝の九時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。鶏肉ハムをスライスしてみる。なかなか美味しそうではないですか。しかし焼いた方に比べると茹でた方は、若干パサパサしていて味も薄い気がする。茹で過ぎたのだろうか。これなら僕は焼きに徹した方がいいのかも知れないな。まあ美味しい鶏肉ハムが出来て何よりです。近所のスーパーに行って買い物をする。部屋に戻って、味噌汁と山芋と卵を合わせたものを食べる。なかなか美味しいもので。満腹。ちょっと計算をする。電子ピアノに向かったりパソコンに向かったりしている。
 日記を書きます。一時過ぎ。これからキシピ氏の部屋に行ってきます。

 部屋を出る。歩いて町屋、電車で大手町、門前仲町。キシピ氏の部屋に行く。ノートパソコンを見せてもらう。鶏肉ハムを渡し、白米を食べさせてもらう。ネットがないとパソコンがあってもあまり遊べないなあ。近所にあるパスタのお店に行き、昼食を取る。ミニッツメイドが異様に薄かったのでげんなりする。パスタの方はとても美味しかった。部屋に戻ってサウスパークのビデオを見せてもらう。面白いなあ、サウスパーク。ケニー、最高。これはもっと見たいかも。パソコンに向かってキシピ氏にフリーセルのルールを教える。しかしフリーセルはランダムに与えた任意の面に必ず解があるらしいけど、それは既に証明されているのだろうか。七時頃に部屋を出る。お世話になりました。しかし最初から最後まで妹さんは寝たままであった。流石だ。
 電車で両国、小岩。和菓子を買う。八時から十二時までピアノのお仕事。調子はあまり良くない。まあいつものように適当に遊んでいました。休み時間には小説を読む。お仕事を終えて、電車で御茶ノ水、新御茶ノ水から電車で町屋。SHOP99で買い物をしてから、歩いて部屋へ。お風呂に入って、洗濯をする。夕食を取る。黒豆ご飯、納豆、味噌汁。しばらくぼーっとしている。
 寝たのは三時頃でした。今日はなんだか疲れました。しかし久し振りにフリーセルをやってしまった。懐かしいなあ。高校の頃は人生の値段が下がるくらいやっていましたよ。

[ 食事 ] 部屋で鶏肉ハムを作る

 今回の作り方についてまとめる。
 鶏胸肉四枚に、蜂蜜、塩、黒胡椒、バジルをまぶす。今から思うと塩がちょっと少なめだった気がする。ビニール袋に入れて密封して、冷蔵庫に二日間置く。食塩水に三十分ほど入れて塩抜き。たこ糸で形を整える。二枚はオーブンで焼き、二枚は鍋で茹でることにする。オーブンの方は予熱せずに百二十度で一時間。鍋の方は沸騰したお湯に入れて再沸騰してから三分待ち、蓋をして冷めるまで放置。どちらも十分に冷めたら冷蔵庫に入れておく。翌日たこ糸を外してスライスする。完成。
 鍋の方は火を通し過ぎてしまったのかも知れない。やはり三分は長すぎたのかな。あと個人的にはやっぱり焼いた方が好きだなあ。味も色も好みだ。

[ 研究 ] Biskampを読む

 pp.15-pp.24。読書ばかりで計算をしていない。これでは物理の勉強ではなく英語の勉強ではないか。

[ 花瓶 ] 053:花瓶に接着剤を塗らない

 特に底面には決して接着剤を塗ってはならない。何故か。別に説明するまでもないだろう。突然花瓶が必要になってしまった。どうしよう。花瓶はないのか花瓶はないのか。早く持っていかないと殺されてしまう。急げ急げ。どこにあるんだ。ああ、そこにあったじゃないか。花瓶を手に取る。動かない。どうして動かないんだ。どうしよう。仕方あるまい。大きな斧を持ってくる。刃が少し黒くなっている。花瓶に向かって大きく上段に構える。振り下ろせ。一撃。花瓶は真っ二つになる。ああ、割ってしまった。どうしよう。なんとかしてごまかさないと。花瓶を探すんだ。走り出す。花瓶はないのか花瓶はないのか。早く持っていかないと殺されてしまう。急げ急げ。そういう事態を避けるためにも、花瓶に接着剤を塗ってはならない。

2005/2/26 Sat

 グランドピアノがあるレストラン

 十時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。布団を干す。部屋を出たのは十一時前。和田倉噴水公園や皇居東御苑や東京国立近代美術館などに行ってくる。演奏会で後輩のピアノを聴く。戻ってきたのは夜の十時半頃。しばらくぼーっとしている。夕食は、黒豆ご飯、納豆、味噌汁、ほうれん草のおひたし。ポテトサラダを作ることにする。期せずしてポテトスープまで出来上がってしまった。サンドウィッチを作る。ちょっと疲れました。お風呂に入る。しばらくぼーっとしている。
 寝たのは三時頃でした。今日も疲れました。でもまあ適度に疲れるのは悪いことではありませんよ。

[ 外出 ] 皇居周辺に行く

 部屋を出る。自転車で西日暮里、電車で大手町。歩いて和田倉噴水公園レストラン。昼食を取る。とても美味しかった。徐々に晴れ間が広がってくる。歩いて大手門に行き、皇居東御苑へ。梅の木の下に立っているといい匂いがする。三の丸尚蔵館に行く。世界の国々から皇室に贈られた品々があり、絨毯やガラス細工などが見事であった。外を歩いているとカメラのシャッターを押してくれと頼まれる。こういうときは必ず「三、二、一」とカウントダウンすることにしている。チーズとは言いたくないんだ。恥ずかしいじゃないか。満作の黄色い花がきれいである。茂みの中では四十雀が鳴いている。川津桜はもう花を咲かせているではないか。春だなあ。でもまだ寒いなあ。早春賦か。
 北桔橋門から御苑の外に出て、東京国立近代美術館へ。しばらく入口の椅子に座ってぼーっとしている。和田倉噴水公園で見掛けて、皇居東御苑の前でも見掛けた、外国人の二人連れがここにもやってきたのでびっくりする。他生の縁ですかね。美術品を見て歩く。なかなか量がありますね。ちょっと疲れました。個人的には Wassily Kandinsky の「The Ensemble」という作品が非常に印象的であった。抽象画だけど見ていてとても楽しい。これが部屋にあったらいいなあ。しかし「全体」って邦訳はどうなんだ。菅木志雄の作品が良くも悪くも気になって仕方ない。河野鷹思のポスターはなかなか面白かった。
 竹橋まで歩いて、電車で大手町、代々木公園。白寿ホールに行き、演奏会を聴いてくる。第28回ピティナ・ピアノコンペティション、グランミューズ部門入賞者記念コンサート。正直なところ、そこまで感心させられる演奏ばかりではなかった気がする。法学部の後輩が弾いたのはドビュッシーの「喜びの島」だったのだけど、どうもいつもよりもちょっと調子が悪いように思えた。らしくない、といった感じだろうか。しかし後輩は、音楽大学でピアノを専攻していない人間の部門で、第一位だったらしい。一体何者なんだ。恐ろしい。今回の演奏会で個人的に最も印象的だったのは、プーランクの「4手のためのピアノソナタ」でしたね。演奏会終了後すぐにホールを出て、歩いて代々木公園、電車で西日暮里、歩いて部屋に戻ります。

[ 食事 ] 東京「和田倉噴水公園レストラン」に行く

 また来ました。やはりここは素晴らしいお店です。千二百円。メニューは前回と殆ど同じで、温野菜、オムライス、パスタ、串カツ、鶏肉のクリーム煮、鮭のレモンソースソテー、鯖とチンゲン菜の炒め物、野菜炒め、サラダ、カレーライス、コーンスープ、パン、デザート、コーヒー、紅茶など。前回とは肉料理と魚料理が違いますね。オレンジジュースがなかったのが残念。相変わらずどれも工夫してある美味しい料理ばかりです。特にカレーはどうやったらこの味が出せるのかさっぱり分からない。美味しいじゃないですか、全く。サラダのトマトがきちんと湯剥きしてあるのが嬉しいところ。トマトは割と苦手だけど、ここのトマトなら美味しく食べられますね。外の眺めもとても良い。満足です。しかしここのプチガトーはどれも実に美味しいのだけど、出された途端にみんなが群がってきて、すぐになくなるのはどうにかならないものだろうか。バーゲンを想像してしまった。チョコレート味のお菓子がとても美味しかった。また来たいですね。

[ 食事 ] 部屋でポテトサラダを作る

 鶏肉ハムを茹でた汁で、ジャガイモ、タマネギ、卵、鶏肉ハムを煮る。水気を切ってからスプーンで潰して、塩、黒胡椒、マヨネーズ、ソースで味を付ける。なかなか美味しいのだけど、どうもまだ水っぽい気がする。煮過ぎてしまったのかも知れない。これならいっそ水気が飛ぶまで炒めた方が良かったのかも。

[ 食事 ] 部屋でポテトスープを作る

 ポテトサラダを作ったときの煮汁がとても美味しかった。かなり美味しかった。以上。

[ 食事 ] 部屋でサンドウィッチを作る

 鶏肉ハムとマーガリンのハムサンド、いつものツナサンド、それとポテトサラダサンド。サンドウィッチ用のパンを用意していなかったので、八枚切りの食パンを半分にスライスしたものを使用。完成したものをクッキー缶に詰める。クッキー缶に食べ物を詰めるのは神聖な行為である。そこに邪念があってはならない。神経を引き絞れ。心臓を全停止させろ。天におわす神の御心に従い、クッキー缶の蓋を閉めるんだ。

[ 花瓶 ] 054:花瓶に蝋を塗らない

 部室に入ると宮本がいた。ソファに座ってテーブルの上で何かしていた。俺は宮本を無視して奥に向かおうとしたが、すぐに呼び止められてしまった。加藤君、僕が何をしているのか、分かるかい。俺は仕方なく振り返った。宮本は異常に物事を根に持つタイプだ。他人に冷たくされるとそのことをやたらと覚えていて、後々までネチネチと恨み言をぶつけてくる。適当に相手をしてさっさと切り上げた方が身のためというものだ。俺は宮本の向かい側のソファに座った。宮本は左手に花瓶を持って右手に蝋燭を持っていた。まあこれくらいなら宮本の行動としては常識的な部類に含まれるのかも知れない。左手に五寸釘を持って右手にカボスを持っていたことがあった。左手にオペアンプを持って右手にテニスボールを持っていたこともあった。左手に日本人形を持って右手に歯車を持っていたことだってある。花瓶と蝋燭なら十分過ぎるくらいに平和だ。加藤君、僕が何をしているのか、分かるかい。花瓶に蝋を塗っている。その通り。宮本はちらりと俺の顔を見た。次にこいつが言い出すことが手に取るように分かった。どうしてそんなことをするのかって聞きたいんだね。どうしてそんなことをするんだ。本当はあまり言いたくないんだけど、加藤君にだけは内緒で教えてあげるよ。俺は久し振りに宮本を殴りたくなった。物理学の実験なんだよ、これは。宮本は蝋燭をテーブルの上に置いた。茶色い花瓶が真っ白になっていた。そういえばその花瓶は確か、去年の部長が卒業の折に部室に寄贈したものだ。何を考えているんだ、こいつは。宮本はゆっくりと花瓶をテーブルの上に置いた。にやにや笑っている。運動量は保存するんだってさ。知るか馬鹿。宮本は右手の人差し指を伸ばす。指が花瓶に触れそうになる。俺は去年の部長の顔を思い出す。きれいな人だった。いつも楽しそうに笑っていた。卒業してしまって本当に悲しかった。慣性の法則が消えてしまえばいいと思った。

2005/2/27 Sun

 グレイラビットに会いに行こう

 十一時頃に起きて、しばらくぼーっとしている。今日はとても天気が良い。のんびりしています。一時前に部屋を出る。荒川に行ってくる。戻ってきたのは七時過ぎ。しばらくぼーっとしている。夕食にカルボナーラを作る。お風呂に入る。パソコンに向かったり電子ピアノに向かったりしている。テレビに向かって「ガキ」を見る。またしばらくぼーっとしている。あまり気分は良くない。僕は神経質なのだろうか。まあ割と意固地な人間であるとは自覚しているつもりだけど。
 寝たのは四時過ぎでした。まあ多分僕は疲れているだけです。疲れているときには些細なことが気になってしまうものです。

[ 外出 ] 兎を見に荒川まで行く

 部屋を出る。自転車に乗って、明治通りを使って隅田川へ。ちょっと道を間違えてしまった。白髭橋を渡って北に向かう。鐘ヶ淵の辺りでコンビニに寄ってから荒川に出る。兎を見に行く。人が集まっていたので場所はすぐに分かりました。灰色の兎が好きです。目が黒い。暖かい陽だまりの中で目を細めている。子供の頃に実家で飼っていた二匹の兎を思い出します。昼食を取る。しばらくぼーっとしている。なかなか気分は悪くない。
 荒川の上流に向かい、北千住へ。駅前をちょっと歩く。すぐに荒川まで引き返して、虹の広場でお菓子とクッキーを食べる。モーターボートが通り過ぎると波が立つので、波が岸に来るまでの時間を計ってみる。最初の波が届くのに二十秒、最も強い波が届くのに四十秒といったところであった。下流に向かって自転車で走る。また兎を見る。川辺には猫がいて、歩道には犬がいる。少年達は野球をしている。やがて平井大橋に到着。常磐線から総武線まで荒川を下ったことになる。
 蔵前橋通りを使って平井から秋葉原へ。自転車を買ったときのことを思い出しますね。秋葉原ではちょっと買い物をする。蜂蜜とシュトーレンを買ってみた。御徒町のベローチェでコーヒーを飲んでスコーンを食べる。なかなか美味しいスコーンであった。流石にちょっと疲れたな。上野公園から芸大の前を通って、鶯谷から三河島に行き、部屋に戻ります。

[ 食事 ] 手製のサンドウィッチを食べる

 荒川の土手に座って、ハムサンド、ツナサンド、ポテトサラダサンドを食べて、サツマイモのクッキーを食べて、ビールを飲む。暖かい日差しを浴びて、兎が走っているのを眺める。見上げた空はとても青く、白い雲が浮かんでいる。鳩が集まってきては離れていく。鶺鴒が水辺を飛んでいる。サンドウィッチもクッキーもビールもとても美味しい。悪くない昼食です。しかしポテトサラダサンドは失敗であった。パンがべちゃべちゃになってしまった。やはりきちんと水気を飛ばさないといけませんね。美味しいポテトサラダサンドが作りたい。

[ 食事 ] 部屋でカルボナーラを作る

 ニンニク、ホウレンソウ、鶏肉ハムを炒めて、茹でたパスタを入れて、卵黄と生クリームのソースを加える。とても美味しいカルボナーラが出来上がりました。満足。僕はソースがカルボナーラなら何が入っていてもカルボナーラだと言ってしまうけれど、しかし世の中にはニンニク以外の野菜は一切認めないという徹底したカルボナリストもいるに違いない。がんばれ、カルボナリスト。ポテトサラダを食べる。やはり水っぽいなあ。これはカレーにでも加工しますかね。

[ ガキ ] 山崎VSモリマン 魂のリベンジマッチ 前半

「カリスマ出てるよ」
 この対決ももう九回目。いかにして山崎が無様に負けるのかを見守る恒例の儀式です。しかしモリ夫と種馬マン、久々に見たなあ。試合前の手出しはまあ基本ですね。予想通り。風俗サンドウィッチ、準ミス有明おばちゃん、久々のほほほーい。そしてお笑い視力0.01。なかなか試合前から良い感じです。どんどん山崎が低みに沈んでいく。
 サスペンダー引っ張り合い対決、顔面ビンタマシーン対決、熱々蒸しタオル対決。全敗。みんなが山崎の敵に見えるのは何故だろう。それにしてもダウンタウンがこの上なく楽しそうだ。いいなあ。その後ろにいる今夜が山田やおばちゃんがポイント高い。予定通りに山崎が逃げ出して、急遽ではなく田中の歌があり、ダイナマイト四国が出てきたところで次週に続く。どうでもいいけど、今年いっぱいはダイナマイト四国ネタで引っ張ると見た。

[ 花瓶 ] 055:花瓶にマーガリンを塗らない

 ペスはね、マーガリンが大好物なんだ。元々はマーガリンの付いたパンをよく与えてたんだけど、いつの間にかマーガリンだけが飛び抜けて好きになったみたいでさ。マーガリンが付いているとペスは何でも食べちゃうんだ。本当だよ。トーストやフランスパンだけじゃない。ニンジンだってカボチャだって食べるんだから。大嫌いなチーズや茹で卵だってマーガリンが付いてると食べるんだ。小石や雑草でもマーガリンが付いていると飲み込んじゃうしね。マーガリンを塗るバターナイフはいつもすぐ洗うようにしているよ。流石にバターナイフを食べたら危ないからね。手綱や首輪にもマーガリンが付かないようにいつも気を付けているんだよ。きっと花瓶だってマーガリンを塗れば食べちゃうと思うよ。いや、本当だって。信じられないのかい。それなら、ほら、僕の手を見てごらん。うっかり指にマーガリンを付けちゃってね。ははは、冗談だよ。ただ時々思うんだよね。ペス自身にマーガリンを塗ったらどうなるのかなって。

2005/2/28 Mon

 そろそろ冬も終わりですかねえ

 一時過ぎに起きて、しばらくぼーっとしている。今日もいい天気である。リンゴを食べて、シュトーレンを食べる。なかなか美味しいじゃないですか。部屋を出たのは二時半頃。自転車で根津。途中でレンタルビデオ屋さんに寄る。電車で代々木上原、歩いて研究所。今日はボスが休みらしい。コーヒーを飲んで、お菓子を食べる。しばらくぼーっとしている。研究はどうした自分。
 日記を書きます。八時過ぎ。それじゃ帰りますかね。今日で二月も終わりか。早いものですね。そういえば先日カウンターが50000を越えました。この前まで越えていなかったのに。不思議だ。きっと凄腕のハッカーがいるに違いない。必ず見付け出してやる。手垢にまみれて薄汚れたジョークを言っているこんな自分が結構好きです。記念にトップページ以外のカウンターを外しました。やっぱりダブルカウントなんて気持ちのいいもんじゃない。

 追記しておくと、トップページだけにカウンターを置いたのでは、RSSなどから直接本文に来た人をカウントできないため、トップと本文の両方に置いたわけである。言ってみれば、不当に少ないよりは不当に多い方がいいという思想があり、今度はその逆があるわけだ。まあどちらも歪んだ思想には違いない。最も妥当な解決策は、両方に置いてホストアクセス数だけをカウントすることだろうか。もっと手っ取り早く、RSSを止めるという方法もあるけれど、流石にそれはあまり気が進まない。
 研究室を出たのは九時頃。走って代々木上原、電車で西日暮里、自転車で部屋。夕食を取る。ご飯、味噌汁、餡かけ豆腐、アサリと春菊の塩茹で、ゴボウとニンジンの炒め物、ポテトサラダ。なかなか豪華な夕食であった。しばらくぼーっとして、映画を見る。コーヒーを飲み、シュトーレンを食べる。お風呂に入る。のんびりしています。悪くない時間です。
 寝たのは三時過ぎでした。こうして二月も終わります。あっという間でしたね。六本木に行って雑司ヶ谷に行って上野に行って新宿に行って目黒に行って東京に行って荒川に行きました。とても楽しかったです。三月はどこに行くのでしょうか。

[ 研究 ] Biskampを読む

 ちょっと計算をした程度。テンソル演算にもだいぶ慣れました。

[ 食事 ] シュトーレンを食べる

 ドイツのお菓子。パンのようなケーキのような食感で、中には沢山のフルーツが入っている。砂糖がまぶしてあって甘い。お酒の香りがする。なかなか美味しい。ちょっと高かったけど買って良かった。時間をかけて片付けることにします。それにしても断面がいい形をしているなあ。フタコブラクダみたいだ。

[ 映画 ] 「ネバーエンディング・ストーリー」”THE NEVERENDING STORY”

 懐かしいじゃないか。懐かしいよ。冒頭のお父さんがジュースを作るシーンも、象牙の塔にみんなが集まっているシーンも、スフィンクスの門を通り抜けるシーンも、何もかもが懐かしい。カタツムリも懐かしいし、亀のモーラも懐かしいし、小人の夫婦も懐かしい。無さえ懐かしい。ロックバイターが岩を食べるシーン、アトレーユがファルコンの耳を掻くシーンなんて、涙が出るくらい懐かしい。ロックバイターとファルコン、ちょっと二人ともいい味を出し過ぎだよ。
 まあ懐かしさに浸るのはこれくらいにして。世の中には「空想と現実の区別が出来ていない」といった言い回しがあり、虚構に夢中になる人間を批判するような声がある。僕ははっきり言ってそういった批判が好きではない。読んでいる人間を物語の世界の中に引きずり込む、あるいは現実に物語の世界を浮かび上がらせるくらいでないと、それは人間の表現力や想像力の敗北を意味するのだとさえ思っている。確かにこの映画のバスチアンくらいに世界が揺らぐ体験をする人間は稀だろう。現実が虚構に侵食されていく感覚、あるいは現実が虚構を侵食していく感覚。しかし我々は誰だってバスチアンなのだし、誰だってファンタージェンを持っている。この映画はそのことに対する、多少大袈裟かも知れないが、象徴的な表現なのだろう。
 真の優れた虚構とは、この厳格として重々しい現実を強く揺さ振り、場合によっては破壊し得るものだ。現実とは何か。世界観も人生観も倫理観も宗教観も、どれも言ってしまえば間に合わせのフィクションに過ぎない。人間がそのことに気付かされるのは、多くの場合、自分が生きている虚構とは違う虚構を目の当たりにして、境界の上で自分の虚構を客観的に見たときである。たとえば文化を見ることで、学問を見ることで、物語を見ることで、常識は簡単に覆される。現実はフィクションであり、フィクションは現実なのである。虚構を軽視する人間はある意味では現実を軽視している。僕は小説を息抜きや気休めのためには読まない。それは僕がこの人生を息抜きや気休めのために生きているわけではないのと同じことだ。別に息抜きや気休めが不要だとは全く思わないけれど、それは次に進むための手段であって目的ではない。
 空想と現実が決して可分なものではない、ということを説明する手段として最も的確なのは、このような論述を振り回すことではない。それよりはひとつでも少しでも面白い作品を見せ付けることだ。虚構が現実を捻じ曲げる様を目の当たりにさせることだ。この映画は百の論文よりも雄弁に、物語の持つ力強さを説明している。
 この映画はミヒャエル・エンデの小説を下敷きにしているものの、特にラストシーンに関して全くの別物であるために、原作を重んじる人達の間ではかなり評判が悪いという。もちろん作品を批判するのは自由だし、そういった見解も分かる気がする。しかし、たとえばショパンのバラードはミツキエヴィチの詩に忠実だろうか。「ウェスト・サイド・ストーリー」はどこからどこまでが「ロミオとジュリエット」だろうか。確かに原作者に対する誤解が生じるのは危険である。しかし僕は、ひとつの世界が破壊されて新しい世界が創造されるところを見るのが好きだ。世界は神が創ったものかも知れないが神の所有物ではない。どのジャズピアニストも「枯葉」を決して同じようには弾かない。問題は原作に忠実であるか否かではない。面白いか否かだ。そこに優れた作品があるのか否かだ。多少偏狭な意見かも知れないが、僕はそう考えるようにしている。この映画のこのラストシーンは、ひとつの表現として十分に受け入れられるものであると思う。

ネバーエンディング・ストーリー (84米)監督:ウォルフガング・ペーターゼン ネバーエンディング・ストーリー (84米)監督:ウォルフガング・ペーターゼン』 DVD
ワーナー・ホーム・ビデオ
出演者:ノア・ハザウェイ, その他
発売日: 2001/11/02, 価格:\2,100, 時間: 94 分

音声: 英語/日本語
音声仕様: Dolby Digital 2.0 Surround/Mono
画面サイズ: シネマスコープ
--内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)--
W・ペーターゼン監督がM・エンデのファンタジー小説をSFXを駆使して映画化。いじめられっこの少年バスチアンが、古本屋にあった一冊の本“ネバーエンディング・ストーリー”の世界に迷い込み、あらゆる危機を乗り越え活躍する様子を描く。

[ 花瓶 ] 056:花瓶に絵具を塗らない

 病室では母はいつものように花瓶に絵を描いていた。手元には何十本もの細い絵筆が転がっていて、丁寧にそれを使い分けて色を塗っていた。動きは速くも遅くもない独特のリズムを持っていて、ある種の楽しげで軽快な踊りを感じさせるものですらあったけれど、相変わらずその表情には一切の妥協を許さない徹底した真剣さがあった。私は小声で挨拶してベッドの横に座った。花瓶には海があった。大きな雲が浮かんでいて、灰色の鳥が飛んでいた。遠くには帆船が見える。下の方には港町があった。午後の日差しの中で人々は買い物をしたり昼寝をしたりしていた。黄色い花が咲いていた。異国の空はどこまでも青かった。いい絵だと思う。母がこの絵を描き始めたのはもう半年も前のことだ。しかしまだ半分も描き上がっていないそうで、なんとも気の長いことである。この絵が完成したとき、花瓶がどうなるのかを私は知っている。母は大いなる無駄を愛する人であった。慎重に積み重ねて作り上げたものを無残に叩き壊すことを好んだ。秋を潰して編み上げたセーターの毛糸をほどいたことがあったし、寝る間も惜しんで書き上げた長編小説を焼き捨てたこともあった。何故そんなことをするのか聞いてみたことがある。母は笑いながら答えた。別に気に入らないわけじゃないの。ただどんなものもいつかは必ず壊れてしまうでしょう。それならいっそ自分の手で壊してしまえば、後腐れがなくて済むじゃない。分かるような分からないような答えであった。ただその答えが不気味に恐ろしいものに思えて、私はどうしても結婚ができなかった。きっと花瓶を割ることで絵の中の異国は永遠になるのだろう。私が死ぬ前に母が死ぬことで、母の中の私は永遠になるのだろう。母はもう長くない。花瓶の絵を描き切れるかどうかはちょっと判断が難しいところだ。もしも最後まで花瓶が完成しなかったら、母はどうするつもりなのだろうか。それでも母は花瓶を割るのだろうか。それとも私が花瓶を割るのだろうか。私は花瓶の中の絵を見た。白い舗道には女の子を連れている母親がいた。買い物袋を抱えていて、二人とも楽しそうに笑っていた。母は真剣な表情で独特のリズムに乗って絵を描いている。その様子はどこか楽しそうに見えた。私も楽しそうに見えるのだろうか。私は目を閉じると、少し笑って息を吐いた。

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