counter
-7MainanaDiaryVaseAboutMailAntenna

Mainana Category - Introduction

- 05/09/09 -

[ Introduction ] まいななについて

 まいななは以下の七つの嘘によって構成されていない。

  1. 雑文を中心としていない。
  2. 作り話や思い付きを書かない。
  3. Movable Type なんか使わない。
  4. 何があっても絶対にくじけない。
  5. 神経症は君だけじゃない。
  6. みずのはごろもを二つ手に入れない。
  7. 明けない夜が来ることはないし、もう恋なんてしないなんて言わない。
  8. 6 の次は 7 だけど、7 の次は 8 ではない。
  9. よく分からないだろうけど、気にするな、僕だってよく分からない。

 因みにまいななとは僕の洗礼名ではない。

- 05/11/25 -

[ Introduction ] -7 の由来

 プロコフィエフという作曲家にピアノソナタ第七番って曲がありましてね。これの第三楽章が頭のおかしいことに七拍子なんですよ。七拍子。狂った感じの曲なんですけどね。まあそれだけならいいんですよ。ただその曲を、ある先輩が編曲したんです。どう編曲したのかというと、楽譜をさかさまにした。それだけです。さかさまにした楽譜をそのままに弾けば、それはもう全く違う曲。そりゃそうですよね。文章を末尾の文字から読んでいくようなものです。手抜きにも程がある。その楽譜は、逆譜とか呼ばれてるんですが、それを見たとき、僕は思ったんですよ。ああ、これはもう七拍子じゃない。マイナス七拍子だって。で、その意味や語義はともかく、マイナス七拍子という言葉の響きには妙に惹き付けられるものがありまして、こうして -7 というサイト名が付けられるに至ったわけです。ごめんなさい嘘です。逆譜が存在するのは本当ですが、それを見ても馬鹿じゃないのと思っただけでした。いや、いい意味でね、いい意味で。

- 06/07/12 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 0/7

「自分語りが七つの大罪の八番目であることは言うに及びませんが、しかし罪の欠片もない人生なんて黒い種のないスイカくらい味気ないものに違いないのです。星新一の小説には『罪を犯したことのない男がそのために罪を犯す』という短編がありました。そしてかつて星新一が選者を務めた『ショートショートの広場』には『罪を犯したことのない男がそのために採用試験で不合格になる』という短編がありました。あれってパクリじゃないんですかね。ていうか、どう考えても星新一の方が発想が一枚も二枚も上なんですけど。まあいいや。とにかく、自分語りという罪を犯さないことにはアルセーヌ・ルパンどころか ICPO の銭形警部にもなれないのです。多分。
 かといって、ここで自分の考え方や立ち位置あるいは雑文を書く上でのモットーやポリシーといったものを安易に披露しては、興醒めもいいところでしょう。そういうことは背中とか行間とかで語るものであって、むやみやたらとキーボードで入力して html ファイルに書き込むものではありません。『僕は生まれてから一度も、雑文でも日記でもメールでも手書きでも、鍵括弧、笑、鍵括弧閉じ、を使ったことがないんですよ』なんて独白、誰も読みたくないでしょう。ここで慌てて秘技オーロラ・エクスキューズを使いますが、世の中には十分読むに値する自分語りもありますし、表現の思想や哲学の説明が魅力的な場合ももちろんあります。しかし誰もがそのようなことに熱意を向けるわけではありません。そうですね、あれだ、オレ無罪メソッドは使わないことにしているんです。はい、過去ログ宣伝しました。その、連続殺人犯なら連続殺人だけですべてを表現しろよ、ていう。まあそういうわけでベラベラ自分語りをするのも気が引けるわけですよ。ですよ、て。ていうか、もうかなり自分を語った気もしますね。台無し。
 折衷案を採りましょう。このまいななを書くにあたって、自分が影響を受けたであろうウェブサイトを七回に渡って紹介していくことにします。こうすれば自分の手をそこまで汚すことなく罪を犯すことができます。題して、まいななはじめて物語。クルクルバビンチョパペッピポヒヤヒヤアバッキオのムーディーブルース。拍手」
 とモグタンは言った。ここまで来て責任転嫁かよ。続く。

- 06/07/13 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 1/7

「というわけで、自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第一弾です。第一の嫌がらせはリンクを張る、第二の嫌がらせは美辞麗句、第三の嫌がらせはメール送信。基本トリプルヒットですね。別名ガイル三段です。怖い怖い。いや、流石にそこまではやりませんよ。誰だって殺されるのは嫌ですから。死にたくないなら他人の恨みを買わなければ良いのです。吉良吉影は静かに暮らしたいのです。
 そうそう、新井理恵の漫画に『私の弟って凄くカッコイイ、というかキレイなんだよね、で、私と弟はそっくりだってよく言われるんだけど、姉弟でそういうのってなんか嫌じゃん』というネタがありましたね。自分がいかに美しいかを嫌々っぽく婉曲に喧伝する、という。発想の基本はアレです。

KM

 淡々とした文体で敢えて間違えた視点から物事にツッコミを入れています。武器で言えば狙撃ライフル。友人に紹介されて知ったサイトなのですが、初めて読んだのは『果物よ響け』でしたね。エッセイとミニエッセイとスーパーショートが中心で、特にミニエッセイに鋭く光るものがあります。もう六年も更新されていないところがわびさびですね。わびさびです。
 一例として、次の文章を取り上げましょう。ミニエッセイの『もったいないオバケ』より。

 「どっちの料理ショー」という番組の話は以前にしたと思う。もう一度番組内容を簡単に説明しておくと――二つのメニューが用意され、ゲストにどっちを食べたいかを決めてもらう。そして多数決で多い方のメニューを選んだ人のみが食べられる――という編成。
 このどっちのメニューにするかの決断に、番組の90%以上の時間(45分くらい)を費やすことになる。優柔不断もいいところだ。食べ物屋に行って、45分間もメニューを眺めていたら店員さんはいい顔をしないだろう。

 この『どっちの料理ショー -> 45分間も注文で悩み続ける -> お前は食べ物屋で店員を困らせる優柔不断な奴か!』という無理矢理な流れが実に素晴らしいですね。なんというか、ツッコミのあまりの大人気なさというか、ひねくれた中学生のような発想というか、そういうところがたまりません。歳を取ったら息子の嫁に嫌われるタイプですね。
 こういうネタも好きです。ミニエッセイの『腕時計型腕』より。

 何かの映画かTVドラマかで、中学校くらいの教室のシーン。先生が
「ここ試験に出るよ」
 と言うと、生徒が全員声をそろえて、
「えー!」
 ――どうしてこういう反応になるのか、少し疑問だ。試験に出るという有益な情報を与えてくれているんだから、ブーイングはないだろう。嫌いな教科で、
「ここ試験に出さないよ」
 と言われたら、試験に出ないようなことを、授業中に理解しようと頑張ってたのが反映されないから、ブーイング……で、まだわかるのだが。
「私、試験にでるよ」
 と言われたら、どう反応していいか困る以上に、どんな試験なのか非常に興味深いところだ。

 お分かりのように、途中までは誰にでも思い付くようなネタです。こういうことを言い出すクラスメートの一人や二人、どこの学校にも必ずいたことでしょう。問題はオチです。そう来るか、と誰もが意表を突かれること間違いなし。ここがスナイパーっぽいというか、狙い澄ましたタイプの馬鹿っぽくてとても好感が持てますね。基本的にエッセイを書く人間なんて全員馬鹿だと思います。あれ、気が付けば全然褒めていませんね。不思議だ。ええと、大好きです。終わり」
 とザンギエフは言った。続く。

- 06/07/14 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 2/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第二弾です。それにしてもこんな文章を一体どこの誰が読みたがるんでしょうね。頭の悪い雑文ならまだしも、それに影響を与えたものだなんて。読んで下さっている方々も、本当はみんな渋々読んでいるに違いないんですよ。ほんと済みません。あの、ほんと済みません。いや、でもまあ、そう考えると逆にワクワクしてきますね。普段以上の労力と時間と情熱を費やして構築される無駄な文字列。自分の人間性の低さがどんどん白日の下に晒されるだけの自虐損害エベレスト。思えば思うほど胸が高鳴りますね。地面に穴を掘って穴を埋めてまた穴を掘るくらい楽しいです。罪って素晴らしい。ああ、この企画を始めて本当に良かった。万歳。うわあ。

変ドラページ「なんだこりゃ?」

 藤子・F・不二雄大先生を愛し過ぎたが故に常軌を逸してしまったサイト。漫画のギャグを拡大解釈して、針小棒大というか牽強付会というか、とにかく本来の面白さ以上の面白さをその場ででっち上げる、という高等テクニックが使用されています。どことなくマッドアナウンサー的な匂いも感じられますね。ボケにはツッコミが必要であるように、よく出来たギャグ漫画にはマッドアナウンサーが必要なのです。多分。ああ、マッドアナウンサーを御存知でない方は広辞苑を引いて下さい。もちろん載っていません。そんなに悔しいなら極細ボールペンで書き込めばいいのに。
 たとえば、こういうことです。『変ドラ第九回「世の中うそだらけ」』より引用しますが、『ドラえもん』でジャイアンが次のような発言をします。誰もが知っている名言です。

おもてのもようがうらにうらのがおもてについてるめずらしい五十円だ。

 この美味しすぎるボケに、盛大なツッコミが入るわけです。是非、古舘風に読み上げて頂きたい。

もう詭弁ですらない。事実そのものだ。この言い回しこそ詭弁中の詭弁。この為にこの話は存在しているといっても言い過ぎではない(はず)。アリストテレスやソクラテスなども裸足で逃げ出す超事実。ジャイアンはコレのみで詭弁論の歴史に名を残すに値する男なのだ。ツチノコなど、どうでもよい!

 当意即妙。これをマッドアナウンサーと言わずして何でしょう。
 この方のこうした才能が最も象徴的に開花したのは『変ドラ第八回「ラジコン大海戦」』でしょうか。ハイライトのみを抜き出しますが、スネ吉が次のような演説をします。

広角レンズは、広さや奥行きを大げさにうつしてくれる。それはいいんだが、困ったことに……、カメラをうんと近づけなくちゃならない。その分、ピントから外れる部分が多くなるんだ。だから、シボリをできるだけしぼりこむ。そのためには、ライトを強く、スローシャッターで……。

 これに対するドラえもんのツッコミは一言『ファ〜……』のみ。甘い甘い甘すぎる。

うおおおおお。ここでスネ吉が言っている作業は専門的には「パンフォーカス」と言って、カメラの被写界深度を深くすることによって、被写体の背景にまでピントを合わせる技術のことです。そうすることによって、人間の目が対象物を小さいモノだと感ずる感覚を誤魔化し、巨大なモノを撮影していると錯覚させる技術。しかし、その被写界深度というのがやっかいで、シボリを絞り込まないと深くならない(シボリを絞るとどうしてピントが合うのかというと、試しに親指で小さな、ごく小さな穴を作ってそこからモノを覗いてみると分かるが、通常ぼやけてしまうような距離のモノがはっきりくっきりと見える。いわゆる近視というのはこの絞りを司る眼輪筋が眼球を絞り込めなくなる事で生じる)。だが、人間の眼と違ってカメラの絞りを絞り込むとその分光が足りなくて写真が暗くなる。それをライトの光を強めることで補い。なおかつフィルムを長く露光させなければ写らない。なので、シャッター速度(バシャっと言うアレ)を落として、殆ど開放に近い状態で延々と写す必要がある。ジオラマなどのスチルならばそれでも一枚撮れば済む話だが、コレが映画などの活動写真になると話はもっと複雑で、もはや伝説とも言える「2001年宇宙の旅」における宇宙空間の撮影方法は……

 熱い熱い熱すぎる。名解説です。なんというか、油田の火災をニトログリセリンで消すような大技ですよ。いやあ、素晴らしい。藤子・F・不二雄大先生、ありがとう。古舘伊知郎さん、ありがとう。みんなみんな、ありがとう。
 他にも『変ドラ第七回スペシャル「合体バラバラの世界〜分かいドライバーの章」』や『変ドラ第11回「ターザンパンツVSターザンパンツ」』や『透明ドラキュラ』あたり、解説の妙味が味わえてもうお腹いっぱいです。御馳走様です。何よりも、いい歳した大人がギャグ漫画に向かって真剣にツッコミを入れている姿が実に感動的ですね。ほんと馬鹿じゃないの。ええと、大好きです。終わり」
 とジャイ子は言った。続く。

- 06/08/26 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 3/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第三弾です。別に大々的に紹介しているわけでも礼賛しているわけでもない、というのは企画を始める前から分かり切っていたことなので、ここは白を切り通すことに致します素知らぬ顔で堂々と。どうでもいいんですが『白を切る』の『しら』は『知らぬ』から来ているらしいのに、どうして『知らを切る』じゃないんでしょうね。どうだっていいよ馬鹿。さっきから白を切る白を切るうるさいよ。全然切れてないよ。

それだけは聞かんとってくれ

 安定した筆力で 365 を超えるエッセイを残したサイトです。宮沢章夫や土屋賢二を思わせる文体で、夏目漱石とビートルズと丸谷才一が大好き。すべて三回以上は読みました。つまり延べ 1000 は軽く読んだことになりますね。うわあ気持ち悪いよこのひと暇人過ぎるよこのひと。まあここまで読めば影響を受けたと言い張ることも可能でしょう。尚、言い張るために読んだわけではありません。それは宗教の手口です。
 それでは引用させて頂きます。まずは『会話の糸口』から。

 ファミリーレストランに行ったとする。ご存じのようにファミリーレストランというところは年がら年中「何々料理フェア」てなことをやっている。譬えばたまたま今年がチリとの国交樹立百年だとかで「チリ料理フェア」というのをやっていたとしよう。侮ってはいけない。ファミリーレストランというものは、そういう誰も知らないようなことまで採用しては商魂たくましくフェアをおっぱじめるものなのである。さて、たまたまあなたの訪れたファミリーレストランにフェアの一環でチリからやってきたチリ人シェフのホルヘさんがおり、チリ料理を頼んだあなたに挨拶しにきたとしよう。そんなことがあるか、などといってはいけない。何しろ敵はファミリーレストランなのだ。ありえぬ話ではない。とにかく、あなたは今チリ人と対峙している。
 さあ。何か話さなければならない。会話の糸口を見つけなければならぬのだ。あなたは焦る。アドレナリンが噴出する。ドーパミンが、どぱーと出る。あなたの頭脳はめまぐるしく働き、チリについての情報を検索する。しかしあなたは自分でも驚くほどチリについて知るところがない。

 なかなかいいお題が出てきました。さて、これをどう解くか。皆さん、どうぞお考え下さい。お、早いですね、では木久蔵さん!

 焦っている間にも、着実に時間は流れる。あまりに長い沈黙は敵意と解釈されかねない。気負うことはない。軽い糸口でいいのだよ。さあ。チリのことに触れるのだ。とうとうあなたはかろうじて口を開く。

「チリって、……細長いッスよね」

 哀号。なんと情けないことか。なんと嘆かわしいことか。
 あなたがチリについて知っていることは「細長い」だけなのか。細長い。あなたはチリを秋刀魚同然、細長いという認識だけで捕捉しているのか。いや、秋刀魚ならまだしも「目黒産に限る」などということも知っていよう。しかし、チリについては「細長い」だけなのである。
 チリは竹ひごか。

 素晴らしい。もちろん『細長い』までは誰にでも思い付くわけですが、そこで大跳躍して『竹ひごか』に着地できる人間は極々稀であるわけですよ。他人に言えないことが言えるか、他人に書けないことが書けるか、それこそが表現者の優劣を評価するのに有効な数少ない物差しのひとつであり、歴史に名を残した偉人は他人にできないことを為し得たからこそ偉人であるわけです。地球上の誰に『バブリング創世記』が思い付きますか。
 こういう具合に、心底下らないエッセイが嫌というほど続きます。保険の人で名高い『ザ・心理ゲーム』や『ばっかり』を読んだ者は誰でも頭蓋骨が陥没するくらい脱力してしまうことでしょう。しかし、何事にも例外というものがあるわけで、まあ言ってみれば、これはどこの青春小説だ、みたいな話もあるわけですよ。

「夏になるとボウフラが湧くから厭ねえ」
 というのが薄田さんの発言である。「ボウフラって結局あれは何なの」
「何って、そりゃ、蚊の幼虫でしょ」
「ええっ」
 驚いている。「そうだったの。……じゃあ、蚊って自然発生だったのかあ」
 こういう会話を交わすに至って彼女がアリストテレスな人であることが判明したのであった。

 あ、ごめん、間違えた、これじゃなかった。これは『アリストテレスな人』だった。ごめんなさい。ほんとは『蓮華』でした。ほんと済みません。なんで間違えたんだろ。

 初めて彼女のうちへ行ったのは夏休みだったと思います。裕美はケーキを焼いてくれましたが、僕はそういったあれには全然詳しくありませんから、カステラのように見えるそれを指さして、
「これ、何ていうケーキ」
「パウンド・ケーキ」
「ふうん」
 僕は、ふうん、の後すかさず「あっ」と叫びました。
「どうしたの」
「じゃ、丸いのはラウンド・ケーキなんだな。なるほど、そういう仕組みか」
 裕美はそれを聞くと「その洒落、つまんない」
 本当につまらなさそうな表情でした。

 ぞくぞくしますね。

「あのね。ケーキの中に棲んでいる虫を知ってる」
「なんだい、それ」
 時々裕美は冗談なのか何なのか判らない不思議なことを言い出すことがありました。
「ケーキの中にはね、虫が棲んでいるのよ。全部のケーキじゃないんだけれど、何十個か何百個かの中には確実にいるのね。でねえ、その虫は人間に食べられるのをじいっと待っているの。その虫を食べた人は、不幸になるの。とっても不幸になるの」
 僕は目の前の皿を見つめながら訊きました。
「このケーキはどうなんだろう」
 すると、裕美はくすくすと笑って、
「それはわたしにも判んない」
 やっぱり、何だかつまんないなあ、の顔のまま、でも声だけは、くすくすと笑ってそう答えました。
 僕は大袈裟に深々と頷いて、
「ううん。それは危険だ。危険だからあまねくすべてのケーキの生産を中止すべきだ。世の中からケーキをなくしてしまえ。何、構やしない。ケーキがなければパンを食べればいいじゃないの。でも」
 そこまで一気呵成にまくしたててから、
「むしパンだけは止したほうがいいな」
「それ、最高につまんないよ」
 裕美はほんとうにつまらなさそうな顔のまま、それでもクククッと笑いました。

 ぞくぞくします。『蓮華』の最後の一文にはかなり痺れてしまいましたので、皆様、是非とも御自分の目で確認して頂きたい。なんていうか、ずるいですよね。卑怯ですよ。川原泉の『銀のロマンティック…わはは』くらい卑怯だ。ああもう。馬鹿。ええと、大好きです。終わり」
 と歌丸さんは言った。続く。

- 06/09/22 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 4/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第四弾です。そういえば、これって言うまでもなく無断引用企画ですよね。他人がその限られた人生から切り出した貴重な時間と多大な労力と母なる大自然によって作られた文章を気安くフンフン鼻歌でも歌いながらマウスを右に左に前に後ろに上に下に動かして Ctrl-C の Ctrl-V の Ctrl-Alt-Del で、いえいえこれだって自分の文章ですよ引用だって表現のひとつですよ誰にだってできることじゃないですよ、と厚顔無恥に言い張るという。いやもうね、悪気がなければ何でもできるんですよ。悪気がなければ何とかなるんですよ。『悪気がなければテロだってできる!』って言うじゃないですか。言いませんか。言いませんね。済みません。ごめんなさい。不謹慎でした。

サイコドクターぶらり旅
サイコドクターあばれ旅

 ブ日記の方。そういえばこのひとは馬鹿だけど馬鹿じゃない。まあたまにはそういうこともあるさ。読書と映画が好きな文章書きの精神科医というだけでクリティカルヒットです。実際のところ単純に頭のいいひとだなあとぼんやり感心していたら他人とは思えないような言説があちこちに見受けられたのでハハアこれは妖怪で言うところのサトリですねと思ったのだけどそんなことはなかった。なかったんだ。
 初期の読冊日記よりある高校生の女の子の話。ほぼ全文引用ですので、あらかじめお詫びさせて頂きます。どうでもいいんですが、こういう防衛的な謝罪って、傍から見てると心底見苦しくて不快ですよね。怒られるのがそんなに怖いなら最初からやらなきゃいいじゃん、ていう。ほんと済みません。

 とても頭のいい子なのだが、おそらくその振る舞いにどこか変わったところがあったからだろう、学校でいじめを受け、不登校になっていた。
 外来では、私に甘えたかと思うと次の瞬間には大声で泣き出すなど、情緒不安定で、「病院になんか来たくない、精神病扱いされるから」と言ったかと思うと、「先生、助けてよ」と涙を浮かべながら私に訴えた。彼女との面談は、いつも1時間以上に及んだ。
「普通になりたい」というのが口癖だった。自分が高校生の頃、常に人とは違っていたいと思っていた私は、「普通になんかならなくてもいい。『普通』の女の子なんてどこにもいないんだから」と答えたが、彼女には通じなかったようだ。
 今は定時制に通いつつアルバイトをしているという。「私、普通になったよね」にこにこしながら彼女は聞いてきた。
 私にとっては、普通であることは耐え難い苦痛であり、それでも現実には普通でしかない自分に諦めを感じているのだが、人と違うことによっていじめられ続けてきた彼女にとっては、「普通である」と認められることこそが、なによりの安らぎなのだろう。
「うん、普通になった」というと、彼女はうれしそうに笑った。

 これは効きますね。金属ねじと五寸釘を飲み込んでしまったくらい効きます。続き

 患者さんの女子高生が「普通になりたい」と泣いていたのは、かつていじめられた記憶のせいかと思っていたのだが、それは彼女の特殊事情とは関係なく、たぶん彼女くらいの女の子には共通する思いなのだろうな。同じ格好をすることによって「女子高生」というブランドの中に埋没してしまうことは、とても楽なことだから。彼らはいったいどこで個性を発揮してるんだろう、と思ってしまう私の考え方は古いのかも。

 なんというか、象徴的ですね。あなたと僕とは絶対に分かり合えないというか、人と人の間には底の見えない大渓谷があるというか、殆んど誰とも友だちになんかなれないというか、理解と誤解は同義だというか、お前以外の人間は全員お前じゃねェんだよというか、でも鼠は恋をしないわというか、嫁姑問題は滅びぬ何度でもよみがえるさというか。話が逸れましたね。ここはひとつ『普通って言うなぁあ』ということでどうか。
 精神科医としての専門性がうまいこと発揮されているのは『私家版・精神医学用語辞典』ですね。『精神分裂病』のくだりはあまりに名文。はっきり言ってホラーです。

「私は、私である」
 そう口にしてみる。
 それは、普通であれば、何ひとつ疑う余地のない当たり前の言葉に思える。
 しかし、「自分」と「そうでないもの」の区別がつかなくなってしまったあなたは、「私は……」と口に出したあと、何も言えず口ごもるしかない。
「私は……」
 困惑したあなたは、周りを見回してみる。あなたの周りにはいろんなものがあるだろう。コップ。机。ボールペン。パソコン。そしてディスプレイ上で今あなたが読んでいるこの文章。テレビからはバラエティ番組の声が聞こえるし、エアコンからはかすかな空調の音が聞こえているかもしれない。
 膜が破れて「自分」が漏れ出してしまったあなたにとっては、周りにあるすべてのものに「自分」が感じられる。そしてまた、すべての自分でないものが、膜の中に暴力的に侵入してきている。
 コップは私。机は私。ボールペンは私。パソコンは私。テレビは私。すべては私。でも私は……。私とはいったい何だろう。あなたにはわからない。

 これがあの『ブラックジャックによろしく』で換骨奪胎されたことは有名ですね。
 最後に、統合失調症のイラストレーターであるルイス・ウェインの紹介文を引用して、本文を締め括らせて頂きます。御清聴ありがとうございました。

 最初は写実的だった猫の絵が、だんだんと空間に充満するように広がっていき、抽象的・幾何学的・装飾的な形へと変化していっているのがわかるはず。統合失調症患者が文章を書く場合、何も書かれていない紙の白い空間に不安を感じ、びっしりと紙全体を埋めるように文字を書くことがよくあるのだけれど、この絵にも同じような強迫的な不安感が感じられます

 猫の絵はこういうのに弱いひとが見ると髪の毛を掻きむしりたくなるようなので覚悟した方が良いかと思います。医学用語で言うところのグロ注意ですね。ええと、大好きです。終わり」
 とチェ・ゲバラは言った。続く。

- 06/10/31 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 5/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第五弾です。それとは全然関係ないんですけど、どこかで誰かが『真夜中のテレビのテストパターンや砂嵐に向かって手を叩いて指を差して大爆笑していると物凄く楽しい』って言ってましたね。『同じ部屋に友達や恋人がいる状態でやるダブルスが基本なんだけど、一人だけでこっそりやるシングルスにも捨て難い魅力がある』とか『もちろん結局のところは悪趣味な冗談なんだけど、うまくいくと時々本当に面白い漫才が見えてくることがあるから止められない』とか『昨日はアンガールズがショートコントで ATM の非常用受話器に向かってオレオレ詐欺を敢行してた』とか『いやいや ATM は騙せないからね ATM は機械だからね ATM は騙されやすい田舎のおばあさんじゃないからね ATM は日本一騙されにくいとされるカリスマ大阪人主婦のある意味では師匠だからね』とか。本当に関係なかったですね。

俺とパンダ2
俺とパンダ

 ヤスノリさんがやたら楽しそうにコロキアルな独り言をブツブツ呟いているサイトです。なんかこう、いや、分かるんだけど、分かるって言いたくない、そんなポイントを的確かつ着実に突いてくるところが実にいいですね。本筋とはあんまり関係ないディティールにクドクドクドクドと妙にこだわるところも高ポイント。あとコロキアルの綴りは colloquial なんですね。
 ではまず『仮説』から。

 で、ドトールでアメリカンのMを頼んだものの、なーんも、持ってきてないことに気づく。や、こう、そそくさと出てきたから、なーんも、持ってきてない。コーヒーを半分飲んだところで、本当にすることが無くなって、とりあえず、寝てみた。

 起きたら、机がコーヒーでびっしょりになっていた。

 何が起こったのか一瞬分からなくって、頭をフル回転させて、あれだ、コーヒーを飲んだ直後に俺がグーグー寝たから、コーヒーがズコーッってなったのだ、という仮説を立てたのだけど、良く調べたら机のたてつけが悪くて、俺が足を動かすとガッタンガッタンしていただけだった。

 ズコーッて。いわゆる擬人化の暴走現象ですね。このスジのプロなら『風呂敷工場では唐草模様の奴らはいつも他の風呂敷全員から同情と憐憫と優越感の入り混じった生暖かい目で見られているのだろうから本当にかわいそう』くらいのことは日常的に考え尽くしているに違いない。
 そしてその応用例がこちらの『おめでた君』です。

 なんか、俺、こう、コーヒー飲む時、ちょろちょろとこぼすんですよね。なんでかわかんないんですけど、こう、飲み終わると、マグカップの縁にあわせて茶色い輪が机の上にできている。
 自分の机ならどうでもいいので、輪はできっぱなしにしておくんだけど、あー、たまに、輪ゴムと間違えて触る。あー! つーか、昔ね、一回、そのわっかが、一回、本当に、輪ゴムになったことがある。や、本当にね、コーヒーのわっかがいつもあった場所に、輪ゴムがあった。輪ゴムになりたかったんだろうなあ、わっか。年末帰省したら、近所の子に話してやろうと思う。

 突っ込めるものなら突っ込んでみろ、と言わんばかりの姿勢が最高ですね。もう意味分かんねえ。擬人化、暴走し過ぎですよ。このスジのプロなら『ペンケースの中の消しゴムが急に森永 DARS の白になってないかなーペンケースの中のボールペンが急に LOTTE の TOPPO ミルクプリン味になってないかなー』くらいのことは日常的に考え尽くしているに違いない。
 ところで、ヤスノリさんには妙に童心を忘れずにいるところがあるというか、金属バットで三回叩いて曙が四股を踏んでダンプカーで三往復ほど轢いたくらい平たく言うとガキっぽいんですが、そのあたりが『台風』によく出ています。

 まあ、それはいいんだけど、まー、アレだなー。台風。こういう時は、本当に駅ビル(と勝手に呼んでいる、ただ駅の真横にあるアパート)に住んでいることの、なんつーんだろ、優越感、というか。だって、ほんと、帰り、濡れないもの。台風なのに、濡れないもの。なんつーか、なぞなぞになるもんね。「台風なのに、帰り道に濡れませんでした。なーんでだ?」みたいな。すっごい難しいよ。難しいわー。小学生とかに出すと、多分すっごい無茶な答え言うよ。なんか、「途中で死んだから」とか。キー! 死ぬとか言えばいいと思って!
 答えは、「駅ビルに住んでるから」だよー!!! あー。気持ちいいわー。毎日台風だといいなー。

 分かるなあ。分かりますよ。「途中で死んだから」は言うね。言う。絶対に言うわ。
 では最後に『結婚とか』から一行ほど引用させて頂きます。

 範囲は広いからね。焼き菓子って。いっぱい居てもそんなに不思議ではない。

 この一行がどのようにして笑いを引き起こすのか。文脈が分からないと笑うどころか困ってしまいますね。文脈は大事です。世の中に文脈というものがなかったら、我々は『つくだ煮じゃあるまいし』で笑うことさえできないのです。文脈は大事ですね。ええと、大好きです。終わり」
 と山根は言った。続く。

- 06/11/30 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 6/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第六弾です。ところで、『人はパンのみにて生くるにあらず』って、大昔どこかの偉いお坊さんか誰かが言ったそうじゃないですか。『人間はパンさえあれば生きられるのかも知れんが、人間はそうやって生きるものではない、様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃのう、ふぉっふぉっふぉっ』って。あれってうまいと思うんですよ。だって結論の『様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃのう』があまりにも正論過ぎるじゃないですか。だから前提の『人間はパンさえあれば生きられるのかも知れん』が突っ込まれにくいんです。よく考えたら、人間、パンだけじゃ生きていけないですよ。まず空気がないと。次に水ですかね。ニンテンドー DS Lite も必須ですよ。そういうわけで、言うまでもないですけど、人間はパンだけじゃ生きられないんです。しかし『人はパンのみにて生くるにあらず』が、『様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃのう』という結論になるためには、『人間はパンさえあれば生きられるのかも知れん』という妙な前提が必要になってしまいます。しかしそれが取り沙汰されることはない。何故か。結論が正論だからですよ。結論が文句なしに正論だから、前提の是非が問われないんです。見事な詭弁トリックですね。ハンサムなポルナレフは突如反撃のアイデアがひらめくわけではありませんが、そもそもポルナレフはハンサムではないのです。結果として、妙な前提は誰にも非難されることなく、自己拡大と再生産を繰り返し、気が付いた頃にはもう時既に遅く、生きとし生ける者の魂を蝕んでしまっているのかも知れません。『人間は様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃが、パンさえあれば生きられるのかも知れん、ガタガタ言わずにチャキチャキ働けやコラ、ふぉっふぉっふぉっ』というわけですね。『というわけですね』って付け足せば許されると思ってるだろ!

冷麺
おれはおまえのパパじゃない

 テラヤマアニさんの文章をきちんと認識したのは、確か『冷麺』の『懐古回顧録』でした。それまでも The Hatena Diary World の Hill Gigas こと『おれパパ』の名は何度となく目にしていましたが、動物図鑑の中のナナツオビアルマジロくらい遠い存在だった気がします。ちょっと言い過ぎましたね。毒物図鑑の中のボツリヌス毒素くらい遠い存在でした。建物図鑑の中の五稜郭くらい遠い存在だったかも知れない。もういいですか。

ゲームのためなら人も殺しかねないバカだった。

 バイオレントな世界の描き方に、辻仁成の『ピアニシモ』を思い出しました。一通り読んで思ったのは、いい文章を書くなあということと、ゲームが好きなんだなあということでした。特に後者については、『おれパパ』を読むようになってから、正直ドン引きするくらい確信しました。ゼルダ好き過ぎだよ。このひとは一体どれだけの人生のリソースをゲームに費やしているのだろう。あなたは登山に生涯を賭けているアルピニストですか。
 さて、『冷麺』には買い物の話がよく出てきますが、『クロムハーツという麻薬』や『リチャード・スタークへの敬愛の念』などを読むと、経済感覚が一時的に麻痺するので危険です。一体アクセサリーに何十万使ったんですか。そんな買い物話の中でも、最も秀逸だと思われるのが『アダムさん、ありがとう Thank you, Mr.Adam 』ですね。何の疑問も持たずに、うわー、凄い靴だー、いいなー、とアホの子みたいに読んでいたら、メールのやりとりのところで鼻血が出ました。ごめん嘘。本当は鼻水が出た。ごめんやっぱ嘘。大袈裟だった。空気が出た。地味。

よう、ピーコしてっか? AF59の注文、サンキューな、サンキューな(武田鉄也)。

 なんだこりゃ。ピーコてあなた。
 何を今更感が途轍もなく強いのでこういうことを書くのは後輩に借金するくらい嫌なんですが、『おれパパ』ではコロキアルな文体が強い破壊力を持っています。『ブロブ文体とか』に『自分が実際しゃべってるときの息継ぎの感じに忠実にしてます』とあるように、やはりかなり意識して書いているようですね。しかし中には、もうコロキアルとかそういう問題じゃない記述もあるわけで、そういうときは本当に鼻血が出るわけですよ。いや出ないけど。大体鼻血が出たら何なんだっていう。
 ことの起こりは『ブログ文章術』に、次の文を短くすること、というお題が出たことでした。『一文を短くって言うけどさ1』より。

お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。

 この設問に対するミスターテラヤマアニの回答は、我々の予想の遥か斜め上をロケットで突き抜けるものでありました。『ブログ文章術 一文を短く』より。

くるくるくる、ドーーーーーーーーーーーン!!!

 ふぉっふぉっふぉっ。はいはい、無理無理。負けた。負けたよ。勝てるわけねえっての。絶対に DT 脳とかそういう問題じゃない。キャシィ塚本なんかもうどうでもいい。このタイミングでこれを出してくる Hill Gigas には敵いませんよ。あと『ビタイチ』は『現代用語の基礎知識』に載るべきだと思います。ええと、大好きです。終わり」
 とジョーダンズ三又は言った。続く。

- 06/12/31 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 7/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第七弾です。これまでのあらすじ。どこにでもいる平凡な男子高校生だったはずの少年、範馬刃牙。趣味は山篭り、好きな飲み物はコーラと砂糖水。そんな彼の元にある日一通の手紙が届いた。鎬紅葉という医師が書いたその手紙によれば、なんと少年の本当の父親は範馬勇次郎といい、アメリカ大統領でさえ彼の前では運転手にならざるを得ないという伝説のムエタイ使いであり、現在は東京ドームの地下六階にあるサナトリウムで不治の心臓病に苦しんでいるという。病状は刻々と悪化しており、あと半日持つかどうかも分からない。急いで父親のところに向かおうとする範馬少年の前に立ち塞がったのは、同級生の柴千春と花山薫であった。父親に会いたければ俺達の屍を越えていけ。三人はゲームセンターでノールールの喧嘩を行う。その死闘は実に七日間に及ぶも決着はつかず。勝敗は二十七年後に持ち越されることとなった。親の遺産で諸国を渡り歩き、二流空手家、三流プロレスラー、四流烈海王といった、数々のライバル達にも連戦連勝。三回ほど毒を食らって、三回ほど毒が裏返った。いつしか中年となった範馬刃牙は、長年の因縁にけりをつけるべく、あの日のゲームセンターに立った。どの砂をすくっても出てくる爪と歯。二十四時間のウォーミングアップ、巨大カマキリとの脳内スパーリングを終えて、ついに約束の時間が来た。しかしそこに柴千春と花山薫の姿はない。その代わり、武装した警官達が周りを取り囲んでいる。罠だ。逃げ出す範馬中年。大当たりするプライズゲーム。崩れ落ちる自由の女神。ハンドポケットするビスケット・オリバ。そこに立ちはだかる最強の刺客、それは税務署員アントニオ猪狩であった。『君は相続税の不正申告をしているッッ!』『なんて人間力ッ…!』もういいですか。

インターネット殺人事件
続・インターネットの殺人
ファッキンガム殺人事件
Woshare Wiki

 養老孟司の『バカの壁』は一行たりとも読んでいませんが、多分その壁を作ったのはこの xx の仕業だと思います。またろくでもない真似をしてくれたものだ。その壁には、マッドアナウンサーとか、メタツンデレとか、お前以外の人間は全員お前じゃないメソッドとか、『まとめ。そうねえ。』とか、『既に常識ですが、そ』とか書いてあるに違いありません。
 あまりにも趣味が偏っているので好みが別れるかと思いますが、具体的に言うとバキネタとジョジョネタとシグルイネタとロマサガネタなどなどが多すぎるのですが、元ネタが分からなくても『このひとは物凄い知的リソースの無駄遣いをしているに違いない』ということだけは確信できると思います。蟻が目障りなので紙幣に火をつけて燃やしている様子が目に浮かびますね。それを岩場の陰から観察して手を叩いている自分のような連中がいるという構図です。素晴らしい。ビバ霊長類。理解されないのが怖くて文章が書けるか。
 自分が読んで最も笑ったのは、やはり『全金竜山入場』です。傑作バキネタ。

ボリューム対策は完璧だ!! 全日本餅チャンコ会 金竜山!!!!

 もう意味分かんない。これを読んで、ああ、このひとは、どう婉曲に言っても直截に言っても、馬鹿なんだなあ、と思いました。普通思い付かないし、思い付いても書かないし、買いても公開しない。一体どうやったらこの世界三大ダメハードルを越えられるのか。その脳味噌大腿筋はどこから来たのか。
 思えば自分が深堀骨を知るようになったのも xx のせいでした。『アマチャ・ズルチャ 芝刈天神前風土記』や『シンクロナイズド坂』や『<乳首の長い女ブーム>に異議あり』といった深堀骨の作品に対する書評では、博士の異常な愛情が感じられて仕方ないところなのですが、それらの中では短いながらも最も際立っているのは『白熊座の女は真夏の夜にここぞとばかり舌を鳴らす』であるとマイ聖書の名に懸けて断言致します。面白いですよね、深堀骨。

それはともかく、『白熊座の女は真夏の夜にここぞとばかり舌を鳴らす』は未来永劫三千世界に渡って下らない作品であるので、時間を無駄にしたくない方は帰って部屋の掃除でもなさってください。
いやまったく作品全体を筆舌に尽くしがたい無意味さが覆っています。

 正論、いや、大正論です。生きる理由が分からなくなったひとは深堀骨を読むといいです。もっと分からなくなります。尚、『白熊座の女は真夏の夜にここぞとばかり舌を鳴らす』や『トップレス獅子舞考』はウェブ上で公開されています。
 また xx は三国一の狂人マニアとしても知られています。『僕たちの好きなマッドキャラ 2004 』、『僕たちの好きなマッドキャラ 2005 〜精神鑑定はなんと正常〜』、『僕たちの好きなマッドキャラ/2006 』と、毎年に渡ってマッドキャラを収集し続けている奇特な人物なんて、世界中を探しても他にタランティーノくらいしかいないですよ。ましてや自分の人形に和服とショテルを装備させる人間は確実に世界に一人しかいない。タランティーノは悪くない。犯人はお前だ。『人形自慢』大好き。

「ところでガスマスクも買ったんスよ。」

 やられた。やられたよ。勝てるか。そんなことだから宝くじから人間の真理が見えたりするんですよ。『コミック/藤子不二雄/征地球論』。

愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ。

 それでは最後に、七年前の過去ログから引用して締めさせて頂きます。『言葉のために。』より。

母音が【イオエオア】の人名は古代エチオピアの臭いがする、とか、《クラック》の語感の軽さはひとえに子音の手柄であって、母音を取り出しなどしたら読めたものではない、とか、《脚立》ほど日本語離れした単語も珍しい、とか、大体そんなことを。

 なんというか、凄いひとは昔から凄いんですよ。虎はもともと強いんですよ。ああもう。ええと、大好きです。終わり。これで終わり。解決。一件落着」
 とサムワン海王は言った。良いお年を。

MainanaDiaryVaseAboutMailAntenna-7