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- 06/05/05 -

 目覚めが悪かったので

「機嫌が悪い。もし自分が神様だったら洪水を起こして、ざっと三十年くらいは水が引かないようにして、ノア一族を醜い争いの末に餓死させるくらい機嫌が悪い」

- 06/05/06 -

[ GreenEyedCats ] 幸せそうな猫の家族

 クマがちょっと優しくなった。

 クマはそもそも勝手な奴だ。ヴァイスが割と従順で大人しいというか、注意されたことはきちんと守ろうとする、お行儀の良い猫であるのに対して、クマは何度怒られても壁を引っ掻くのを止めようとしないようなところがある。また、ヴァイスは普段から物静かで鳴き声もあまり大きくないのだけど、クマは僕が買い物に行くだけでも大声で鳴き出して、周囲の注目の的になろうとする。そのせいか、近所ではクマばかりが有名になって、ヴァイスの名はあまり広まっていないようだ。そういえば僕の膝の上に登るのもクマだけで、ヴァイスはもうそういう真似を止めてしまった。これは少しばかり寂しい話である。
 小猫達が生まれても、クマの勝手な気質は変わらなかった。流石に小猫達が生まれたそのときばかりは、粘液で濡れた鼠のような小猫達を必死になってヴァイスと一緒に舐めていたけれど、それでも一時間も経てばふらりとどこかに行ってしまった。毎晩毎晩ヴァイスと小猫達が押し入れの暗がりでじっとしている間、クマはベッドの上やクッションの上でのんきそうに眠っていた。クマにはもう小猫達が見えていないのかも知れなかった。
 大家さんはどうやら把握していないようなのだけど、僕が住んでいるところの二階でも猫を飼っているようで、窓越しに猫の顔がうっすらと見えていることがある。クマは夜な夜なその窓の前で立ち止まり、大きな声を上げて人間には理解しがたいメッセージを高らかに歌う。また、近所にいる縞猫と向き合って唸り合っていることも多い。時には正面から衝突してしまうこともあるくらいだ。近所迷惑だから止めてくれと言っても聞こうともしない。全く、困ったものである。

 そんなクマが、最近はヴァイスや小猫達と一緒になって、よくベッドの上で幸せそうに眠っている。小猫の背中を舐めることだって珍しくない。近所に迷惑をかけるような真似も減ったように思う。何がクマを変えたのか、僕にはよく分からない。動き回れるようになった小猫達の存在かも知れないし、あるいは五月の暖かく穏やかな空気かも知れない。何だっていい。肝心なのは、クマがほんの少しだけ優しくなってくれたお陰で、僕の部屋に幸せそうな猫の家族があるということだ。

- 06/05/07 -

 吝嗇な奴に浴びせたい罵倒あるいは称賛

「この安物買わずの銭失わずが!」

- 06/05/09 -

 エヌ氏がくまのプーさんを嫌う 200 の理由

 これまでのあらすじ。
 エヌ氏はくまのプーさんを蛇蝎の如く忌み嫌っていた。いや、その表現は適切ではない。エヌ氏がくまのプーさんに向ける凄まじいまでの嫌悪に比べたら、蛇蝎に対する些細な感情など全く取るに足らないものに過ぎないからだ。エヌ氏にとってくまのプーさんとは、吐き気を催すような邪悪そのもの、彼が全存在を賭けて構築してきた十全なる哲学の無間の底に存在する絶対悪であった。
 それにはとても悲しい理由がある。エヌ氏がまだ五歳のときのことだ。エヌ氏は優しい両親の元で健やかに育つ、たった一人の息子だった。家庭は裕福ではなかったが、両親はエヌ氏に惜しみない愛情を注ぎ、一家はとても幸せに暮らしていた。休みの日には三人で渓流釣りに出掛け、クリスマスにはサンタが家にやってきた。そんなある日、彼の母親が妊娠した。エヌ氏は妹が生まれることを望んだ。両親もそれに賛同してくれた。かわいい妹のために、優しくて頼りがいのあるおにいさんになるんだ。エヌ氏は堅く心に誓っていた。やがて母親は産気づき、病院に運ばれた。ロビーで落ち着きなく待つ、父親とエヌ氏。夜明け頃にドアが開く。手術は成功しました、と医者。エヌ氏は駆け出して手術室に滑り込んだ。しかしそこで看護婦に抱かれていたのは、妹ではなく、弟でもなく、なんと、体長 3m はあろうかという、くまのプーさんだったのである。
 これまでのあらすじのあらすじ。というわけで、エヌ氏とくまのプーさんとドナルドダックと高倉健は、いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

──先日、東京ディズニーランドに行ってきたということですが。

エヌ氏「いかにも」

──どのような目的だったのでしょうか?

エヌ氏「何を分かり切ったことを。くだらない質問は止めてくれたまえ。君は私を馬鹿にしているのかね? わざわざ舞浜くんだりまで足を運んだんだ。『プーさんのハニーハント』のために決まっているではないか」

──はあ。そうですか。あれってどんなのでしたっけ。

エヌ氏「コーヒーカップのような乗り物に乗って、プーの奇妙な冒険が楽しめるというものだ」

──もうちょっと具体的にお願いします。

エヌ氏「ふむ。プーがクリストファー・ロビンから風船をもらって、気が付いたら洞窟で蜂蜜まみれだった。残念ながら解決編はなかった」

──いや、意味分かりませんよ。

エヌ氏「それから土産物屋でプーさんのソフトクッキーを買った」

──はあ。

エヌ氏「なかなかうまかったぞ。あれはいい。君もディズニーランドに行ったときは是非買いたまえ」

──……。

エヌ氏「ハニーハントはもう一回乗っても良かったんだがな、残念ながら時間がなかった。まあ次の機会ということにしておこう」

──お前、ほんとはプーさん大好きだろ。

- 06/05/10 -

 レッテル攻撃、略して LK

「世の中には三種類の人間がいる。やるべきことをやる人間と、やりたいことをやる人間と、やれと言われたことをやる人間だ。残念ながら君はその三番目だ」

- 06/05/12 -

 針小棒大メネラウス

 あのー、もう二ヶ月も前の話なんですけど、研究室で学会の準備をしてたんですよ。それで、自分は理系ですから、エディタで数式を書いてたんですね。流体力学にはレイノルズ応力ってのがあるんです。数式では R なんですけど、レイノルズ応力は二階テンソルなんで、ただのベクトルと区別するためのフォントが欲しかったんですよ。難しい話をしてごめんなさいね。あ、難しい話をしてごめんなさいね。それで、数式で使えるフォントを色々と探していたら、カリグラフィっぽいのを見付けたんですね。それを見た瞬間、閃いたんですよ。
「あ、カッコイイ。これにしよう」
「うわー、このひとダメだよ、ダメダメだよ。発表の資料をカッコイイかどうかで評価しているよ。どんな学会だよ。日本カッコイイ学会、略して NKG かよ。日本中のイケメンが一堂に会するのかよ。デブやブサは御法度かよ。うわあ、差別だ差別。逃げろ」
 で、自分、本当にそのフォントで発表しました。バレてないかなあ、カッコイイからこのフォントにしたこと。学会で発表している間も、ヒゲの教授から「君、そのフォント、カッコイイから選んだでしょ」って言われないか、ドキドキしてた。「君ね、そんなことでいいの? そんなフォント、本当にカッコイイと思ってるの?」って言われないか、ビクビクしてた。いや、ごめん、嘘。そりゃ、当たり前だけど、嘘。フォントのことなんか、心底どうでも良かった。ごめんね、本当はどうでも良かったの。ヒゲの教授なんかいなかったの。ごめんね、見栄張って。針小棒大でごめんなさい。なんというか、自分の存在が。なんかこう、存在が、針小棒大でごめんね。
 まあ、フォントをカッコイイかどうかで選んでいるだけならまだいいけど、この調子で何も考えずに突っ走っていると、そのうち取り返しのつかないことになってしまいそうな気もする。「カッコイイからこのパラメータ使おうっと」とか「カッコイイからこの微分演算子使おうっと」とか言い出すようになるのは、多分、時間の問題だ。
 それはそうとして、初等数学において最もカッコイイ定理は、間違いなくメネラウスの定理だろう。まず名前がカッコイイ。メネラウス。転校生の名前としてはパーフェクトだ。「初めまして。芦屋から来ました。名前は村上メネラウス。趣味は流鏑馬です」もう放課後には彼女がいるね。あとメネラウスは、定理そのものもカッコイイ。三角形と直線が交わっていても交わっていなくても、表記の上では同じ公式になるところとかが、カッコイイと思う。俺は、三角形と直線が交わっていないと使えなくなるような、そんな温室育ちのエリートお坊ちゃん定理じゃないんだぜ、みたいな。まあ、そういうところがちょっと嫌いなんだけどね、メネラウス。カッコイイところが鼻につく、そういう意味では、メネラウスはフェラーリに匹敵するかも知れない。メネラウス。父親は NKG 会長だ。

- 06/05/13 -

 飛行機はお好きかな

 飛行機が飛び始めた。

「うわ、結構傾くんですね」
「そうだね」
「ああ、こりゃあ蜜柑も転がりますね」
「そりゃ転がるだろうね」
「スチュワーデスさんが蜜柑だったら大変ですね」
「通路を歩けないだろうね」
「きっと最後尾あたりで蜜柑のお祈りとかしてるんですよ」
「役に立たないなあ」
「隣には先輩スチュワーデスさんがいて『大丈夫よ、私だって最初は怖かったんだから』みたいなことを言ってるんですけど、先輩は林檎だからいまいち信用できないんです」
「まあ林檎に蜜柑の気持ちが分かるわけないよね」

 窓からは主翼が見える。

「なかなか羽ばたきませんねえ」
「そうだね」
「分かった、僕が見ているからだ。自分が動くところを見られたくないんだ。多分こいつ、僕が目を離すまで羽ばたかないつもりですよ」
「そうかもね」
「強情な奴だなあ。落ちたらどうするつもりなんでしょうね」
「さあ。でももしそうなったら君のせいなんじゃないかな」
「ええー。なんかやだなあ」
「分かったら窓の外を見るのを止めなさい」
「はいはい、分かりましたよ」
「重畳重畳。君のお陰で乗客全員の命が救われたわけだ」
「空港で感謝の気持ちにレイをもらってもいいですね」

 独り言は続く。

- 06/05/17 -

 大魔神はもういない

「哀れなもんだな。今のお前は仲間の呼べないマドハンドだ」

- 06/05/26 -

 「ダ・ヴィンチ・コード」に物申す

 映画「ダ・ヴィンチ・コード」が大人気だそうだが、あれは本来 "The Da Vinci Code" なのだから、「ダ・ヴィンチ・コード」ではなく「ザ・ダ・ヴィンチ・コード」が正しいはずなのだけど、「ダ・ヴィンチ・コード」と比べると「ザ・ダ・ヴィンチ・コード」は格段に語呂が悪く発音も困難を極めるため、もし原作がこのタイトルだったら全然売れなかったと思う。返本の山だったと思う。担当の営業は首を切られていたと思う。一家は離散して父親は首を吊っていたと思う。母親と娘はパチンコ屋の清掃アルバイトで細々と暮らしていたと思う。二人は古本屋で「ザ・ダ・ヴィンチ・コード」を見掛ける度にすべて買い取って河原で積み上げて燃やしていたと思う。映画の方も全く話題にならなかったと思う。何か、ミニコミ誌というか、「ぱど」みたいな雑誌で取り上げられるのが関の山だったと思う。それも映画コーナーじゃなくて投稿コーナーだったと思う。しかも「こないだ彼女と観に行きました。あんまりよく分かんなかったけど、最後に彼女が泣いてたから、いい映画だったんだと思います」みたいな内容だったと思う。その彼女も別に感動したから泣いてたんじゃなくて、子供の頃に飼っていた子犬が事故で死んだときのことを思い出していたから泣いただけだと思う。母親と娘はそんな彼女を殺しに行くと思う。
 それはいい。それはともかく、「ダ・ヴィンチ・コード」はおあつらえ向きにちょうど七文字である。そして我々は日本人である。「ダ・ヴィンチ・コード」は七文字だ。我々は日本人だ。そう、詩歌である。

世の中はいつも月夜と米の飯それにつけても「ダ・ヴィンチ・コード」

 大人気にも程がある。金の欲しさよりも映画の観たさかよ。

泰平の眠りをさます上喜撰「ダ・ヴィンチ・コード」で夜も眠れず

 思い出すだけで眠れないのかよ。幾らなんでも反芻し過ぎだろ。牛かよ。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日は「ダ・ヴィンチ・コード」

 凄え。記念日にまでなっちまったよ。どんだけ面白いんだよ。母親と娘も観に行けよ。

久方の光のどけき春の日にしづ心なく「ダ・ヴィンチ・コード」らむ

 もう何が何だか。

- 06/05/27 -

 神経を衰弱させろ

 あの、神経衰弱って有名なゲームがあるじゃないですか。ほら、裏だけじゃ区別のできないカードが何十枚かあって、それぞれのカードにはペアとなるカードがあるっていう。ペアっていうのは、おんなじ絵柄の場合が多いですけど、あれですよね、トランプにはおんなじ絵柄のカードがないから、同じ数字ならいいや、とか、いや同じ数字でかつ同じ色のスートじゃなきゃダメだ、とか、いやいや数字は足して十四でかつスートは全く同じじゃないと、とか、でもそれだと七のペアができないじゃん、とか、七はダミーって紀元前から決まってんだよ、とか、いやいやいや数字は足して三十七でかつスートは足して五十九じゃないと認められない、とか、お前らがちょっと黙ってろ俺がもう一組トランプを買ってきてやるから、とかね。でもそれで買ってきたもう一組のトランプ、さっきのと裏の絵柄が違ってたりするんですよね。反対側にあるの、バレバレじゃん、みたいな。しょうもないなあ。
 とにかく、神経衰弱ってあるじゃないですか。不思議なんですよ。あれって、なんで、神経衰弱って名前なんでしょうね。いや、そりゃ少しは疲れますけど、まあ、少しだけじゃないですか。衰弱、なんて、おっそろしい名前を付けるこたない。神経疲れる、とか、神経使う、とか、そんなんで十分ですよ。神経出し惜しみ、でもいいかも知れない。そりゃ丸二日続けても勝負がつかなかったら神経も衰弱するかも知れないですけど、それ、かなり無茶苦茶な状況なんじゃないですかね。カードの絵柄がデジタル時計になっていて全部で二千八百八十枚ある、とか、よくある間違い探しみたいに絵柄がどれも殆ど同じなんだけど微妙にちょっとずつ違っている、とか、誰かがひとつでも間違えたら全員これまで取ったすべてのカードを場に戻してシャッフルする、とか。もうあんまり神経関係ない。根性とか執念とか、そういった種類の問題だと思う。
 それでですね、普通は神経衰弱なんてすぐに終わりますよ。一時間あったら終わる。間違いなく終わる。全然、神経、衰弱しない。それなのになんで、そんな、記憶力大会開催中ー、あの名人の神経の衰弱する瞬間が見れちゃうかもー、みたいな名前なんでしょうね。多分、あれね、考え付いたひとがあれだったんですよ。うわー、凄いゲームを思い付いちゃったー、よーし、こんな難しいゲームだからー、遊んだみんなの神経も衰弱しちゃうぞー、みたいな。あのな。お前以外の誰の神経が衰弱するんだっていう。もう名前負け、ひどすぎ。そんな名前を思い付いたお前の神経が衰弱しとるわ、ていうね。絶対に考え付いた奴、友達から馬鹿にされて、なんか、あだなに神経衰弱とか付けられたと思う。三ヶ月は神経衰弱って呼ばれ続けたと思う。それで、なんだか気が付いたときには神経衰弱が世間に浸透しちゃってたもんだから、どこに行っても神経衰弱って言葉が耳に飛び込んできて、その度にトラウマスイッチオンなわけで、もうどうしても逃げ切れなくなって、本当に神経衰弱になっちゃったんだと思う。かわいそうな神経衰弱君。
 ああ、分かった。それで、神経衰弱による神経衰弱君の死を悼んで神経衰弱って名前が正式に付けられたんだ。悲しいゲームだね。泣けるね。真実はいつだって残酷だね。

- 06/05/28 -

 姉は将棋を嗜むもの

「そういえば、うちの姉さん、高校で将棋やってたんだ」
「あ、俺の姉ちゃんも大学で将棋やってた」
「やっぱりそっか。姉さんって将棋やってるものだよね」
「それはどうかと思う」
「何を言ってるんだよ。将棋をやっていて弟がいる女性はすべて姉であるという統計調査もあるくらいだぞ」
「そりゃあるだろうよ」

- 06/05/29 -

 増殖ドラえもん

 どこまで話したっけ? ああ、のび太の宿題を片付けようとしていたドラえもんが名案を思い付いたところまでだったね。その名案ってのはね、あれ、これももう話したっけ? うん、バイバインを自分にかけるんだ。五分後には二人になるネコ型ロボット。五十分後には千二十四人になるネコ型ロボット。世界中のどら焼きが食い尽くされるね。どら焼き滅亡の危機ってわけだ。
 関係ないけど、どうしてドラえもんはのび太の宿題なんかにあそこまで時間がかかるんだろうね。所詮は小学生の宿題だろう? ドラえもんだって並の大人くらいには思考や計算ができるんだろう? 小学生の宿題なんかに一晩もかかるわけないじゃないか。全く、理解しがたいね。のび太ってのは毎日毎日そんなに大量の宿題を授かっているのかね。先生は鬼教師だね。
 もっと関係ないけど、のび太ママはどうして奇数個のおやつを出すんだろうね。あんな食い意地の張った二人にそんなことをしたら、喧嘩が起きるなんて火を見るより明らかじゃないか。多分ね、あれはわざとやっているんだよ。問題を前にしたとき相手と自分がお互いに納得できる解決策を模索するためのスキル養成になっているんだよ。大した教育方針だね。帝王学だね。
 ああ、それでね。もう世界中は押すな押すなの大騒ぎさ。どこを探してもドラえもんがいるんだ。海の底にもドラえもん。山の上にもドラえもん。マンホールの下にもドラえもん。自動販売機の裏にもドラえもん。地球を埋め尽くすドラえもん。地球は青かった、とはまさにこのことだね。のび太? タイムマシーンでどこかに逃げたんじゃない? どうせあいつはそういう奴だよ。

- 06/05/30 -

 マジ台無しメソッド

「春はマジあけぼの」
「とかくに人の世はマジ住みにくい」
「こんなこといいなマジできたらいいな」
「だがマジ断る」
「自分マジ不器用ですから」

- 06/05/31 -

 エレベーターに呪いを

「誰だってエレベーターで一階から五階まで移動している間ずっとケージのすぐ外側から男女の話し声が聞こえていたら怖いだろ馬鹿!」

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