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- 06/09/22 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 4/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第四弾です。そういえば、これって言うまでもなく無断引用企画ですよね。他人がその限られた人生から切り出した貴重な時間と多大な労力と母なる大自然によって作られた文章を気安くフンフン鼻歌でも歌いながらマウスを右に左に前に後ろに上に下に動かして Ctrl-C の Ctrl-V の Ctrl-Alt-Del で、いえいえこれだって自分の文章ですよ引用だって表現のひとつですよ誰にだってできることじゃないですよ、と厚顔無恥に言い張るという。いやもうね、悪気がなければ何でもできるんですよ。悪気がなければ何とかなるんですよ。『悪気がなければテロだってできる!』って言うじゃないですか。言いませんか。言いませんね。済みません。ごめんなさい。不謹慎でした。

サイコドクターぶらり旅
サイコドクターあばれ旅

 ブ日記の方。そういえばこのひとは馬鹿だけど馬鹿じゃない。まあたまにはそういうこともあるさ。読書と映画が好きな文章書きの精神科医というだけでクリティカルヒットです。実際のところ単純に頭のいいひとだなあとぼんやり感心していたら他人とは思えないような言説があちこちに見受けられたのでハハアこれは妖怪で言うところのサトリですねと思ったのだけどそんなことはなかった。なかったんだ。
 初期の読冊日記よりある高校生の女の子の話。ほぼ全文引用ですので、あらかじめお詫びさせて頂きます。どうでもいいんですが、こういう防衛的な謝罪って、傍から見てると心底見苦しくて不快ですよね。怒られるのがそんなに怖いなら最初からやらなきゃいいじゃん、ていう。ほんと済みません。

 とても頭のいい子なのだが、おそらくその振る舞いにどこか変わったところがあったからだろう、学校でいじめを受け、不登校になっていた。
 外来では、私に甘えたかと思うと次の瞬間には大声で泣き出すなど、情緒不安定で、「病院になんか来たくない、精神病扱いされるから」と言ったかと思うと、「先生、助けてよ」と涙を浮かべながら私に訴えた。彼女との面談は、いつも1時間以上に及んだ。
「普通になりたい」というのが口癖だった。自分が高校生の頃、常に人とは違っていたいと思っていた私は、「普通になんかならなくてもいい。『普通』の女の子なんてどこにもいないんだから」と答えたが、彼女には通じなかったようだ。
 今は定時制に通いつつアルバイトをしているという。「私、普通になったよね」にこにこしながら彼女は聞いてきた。
 私にとっては、普通であることは耐え難い苦痛であり、それでも現実には普通でしかない自分に諦めを感じているのだが、人と違うことによっていじめられ続けてきた彼女にとっては、「普通である」と認められることこそが、なによりの安らぎなのだろう。
「うん、普通になった」というと、彼女はうれしそうに笑った。

 これは効きますね。金属ねじと五寸釘を飲み込んでしまったくらい効きます。続き

 患者さんの女子高生が「普通になりたい」と泣いていたのは、かつていじめられた記憶のせいかと思っていたのだが、それは彼女の特殊事情とは関係なく、たぶん彼女くらいの女の子には共通する思いなのだろうな。同じ格好をすることによって「女子高生」というブランドの中に埋没してしまうことは、とても楽なことだから。彼らはいったいどこで個性を発揮してるんだろう、と思ってしまう私の考え方は古いのかも。

 なんというか、象徴的ですね。あなたと僕とは絶対に分かり合えないというか、人と人の間には底の見えない大渓谷があるというか、殆んど誰とも友だちになんかなれないというか、理解と誤解は同義だというか、お前以外の人間は全員お前じゃねェんだよというか、でも鼠は恋をしないわというか、嫁姑問題は滅びぬ何度でもよみがえるさというか。話が逸れましたね。ここはひとつ『普通って言うなぁあ』ということでどうか。
 精神科医としての専門性がうまいこと発揮されているのは『私家版・精神医学用語辞典』ですね。『精神分裂病』のくだりはあまりに名文。はっきり言ってホラーです。

「私は、私である」
 そう口にしてみる。
 それは、普通であれば、何ひとつ疑う余地のない当たり前の言葉に思える。
 しかし、「自分」と「そうでないもの」の区別がつかなくなってしまったあなたは、「私は……」と口に出したあと、何も言えず口ごもるしかない。
「私は……」
 困惑したあなたは、周りを見回してみる。あなたの周りにはいろんなものがあるだろう。コップ。机。ボールペン。パソコン。そしてディスプレイ上で今あなたが読んでいるこの文章。テレビからはバラエティ番組の声が聞こえるし、エアコンからはかすかな空調の音が聞こえているかもしれない。
 膜が破れて「自分」が漏れ出してしまったあなたにとっては、周りにあるすべてのものに「自分」が感じられる。そしてまた、すべての自分でないものが、膜の中に暴力的に侵入してきている。
 コップは私。机は私。ボールペンは私。パソコンは私。テレビは私。すべては私。でも私は……。私とはいったい何だろう。あなたにはわからない。

 これがあの『ブラックジャックによろしく』で換骨奪胎されたことは有名ですね。
 最後に、統合失調症のイラストレーターであるルイス・ウェインの紹介文を引用して、本文を締め括らせて頂きます。御清聴ありがとうございました。

 最初は写実的だった猫の絵が、だんだんと空間に充満するように広がっていき、抽象的・幾何学的・装飾的な形へと変化していっているのがわかるはず。統合失調症患者が文章を書く場合、何も書かれていない紙の白い空間に不安を感じ、びっしりと紙全体を埋めるように文字を書くことがよくあるのだけれど、この絵にも同じような強迫的な不安感が感じられます

 猫の絵はこういうのに弱いひとが見ると髪の毛を掻きむしりたくなるようなので覚悟した方が良いかと思います。医学用語で言うところのグロ注意ですね。ええと、大好きです。終わり」
 とチェ・ゲバラは言った。続く。

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