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- 06/11/30 -

[ Introduction ] まいななはじめて物語 6/7

「自分の雑文に影響を与えたであろうサイトを大々的に紹介して礼賛するという嫌がらせ企画第六弾です。ところで、『人はパンのみにて生くるにあらず』って、大昔どこかの偉いお坊さんか誰かが言ったそうじゃないですか。『人間はパンさえあれば生きられるのかも知れんが、人間はそうやって生きるものではない、様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃのう、ふぉっふぉっふぉっ』って。あれってうまいと思うんですよ。だって結論の『様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃのう』があまりにも正論過ぎるじゃないですか。だから前提の『人間はパンさえあれば生きられるのかも知れん』が突っ込まれにくいんです。よく考えたら、人間、パンだけじゃ生きていけないですよ。まず空気がないと。次に水ですかね。ニンテンドー DS Lite も必須ですよ。そういうわけで、言うまでもないですけど、人間はパンだけじゃ生きられないんです。しかし『人はパンのみにて生くるにあらず』が、『様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃのう』という結論になるためには、『人間はパンさえあれば生きられるのかも知れん』という妙な前提が必要になってしまいます。しかしそれが取り沙汰されることはない。何故か。結論が正論だからですよ。結論が文句なしに正論だから、前提の是非が問われないんです。見事な詭弁トリックですね。ハンサムなポルナレフは突如反撃のアイデアがひらめくわけではありませんが、そもそもポルナレフはハンサムではないのです。結果として、妙な前提は誰にも非難されることなく、自己拡大と再生産を繰り返し、気が付いた頃にはもう時既に遅く、生きとし生ける者の魂を蝕んでしまっているのかも知れません。『人間は様々な種類の豊かさを享受しながら生きるものじゃが、パンさえあれば生きられるのかも知れん、ガタガタ言わずにチャキチャキ働けやコラ、ふぉっふぉっふぉっ』というわけですね。『というわけですね』って付け足せば許されると思ってるだろ!

冷麺
おれはおまえのパパじゃない

 テラヤマアニさんの文章をきちんと認識したのは、確か『冷麺』の『懐古回顧録』でした。それまでも The Hatena Diary World の Hill Gigas こと『おれパパ』の名は何度となく目にしていましたが、動物図鑑の中のナナツオビアルマジロくらい遠い存在だった気がします。ちょっと言い過ぎましたね。毒物図鑑の中のボツリヌス毒素くらい遠い存在でした。建物図鑑の中の五稜郭くらい遠い存在だったかも知れない。もういいですか。

ゲームのためなら人も殺しかねないバカだった。

 バイオレントな世界の描き方に、辻仁成の『ピアニシモ』を思い出しました。一通り読んで思ったのは、いい文章を書くなあということと、ゲームが好きなんだなあということでした。特に後者については、『おれパパ』を読むようになってから、正直ドン引きするくらい確信しました。ゼルダ好き過ぎだよ。このひとは一体どれだけの人生のリソースをゲームに費やしているのだろう。あなたは登山に生涯を賭けているアルピニストですか。
 さて、『冷麺』には買い物の話がよく出てきますが、『クロムハーツという麻薬』や『リチャード・スタークへの敬愛の念』などを読むと、経済感覚が一時的に麻痺するので危険です。一体アクセサリーに何十万使ったんですか。そんな買い物話の中でも、最も秀逸だと思われるのが『アダムさん、ありがとう Thank you, Mr.Adam 』ですね。何の疑問も持たずに、うわー、凄い靴だー、いいなー、とアホの子みたいに読んでいたら、メールのやりとりのところで鼻血が出ました。ごめん嘘。本当は鼻水が出た。ごめんやっぱ嘘。大袈裟だった。空気が出た。地味。

よう、ピーコしてっか? AF59の注文、サンキューな、サンキューな(武田鉄也)。

 なんだこりゃ。ピーコてあなた。
 何を今更感が途轍もなく強いのでこういうことを書くのは後輩に借金するくらい嫌なんですが、『おれパパ』ではコロキアルな文体が強い破壊力を持っています。『ブロブ文体とか』に『自分が実際しゃべってるときの息継ぎの感じに忠実にしてます』とあるように、やはりかなり意識して書いているようですね。しかし中には、もうコロキアルとかそういう問題じゃない記述もあるわけで、そういうときは本当に鼻血が出るわけですよ。いや出ないけど。大体鼻血が出たら何なんだっていう。
 ことの起こりは『ブログ文章術』に、次の文を短くすること、というお題が出たことでした。『一文を短くって言うけどさ1』より。

お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。

 この設問に対するミスターテラヤマアニの回答は、我々の予想の遥か斜め上をロケットで突き抜けるものでありました。『ブログ文章術 一文を短く』より。

くるくるくる、ドーーーーーーーーーーーン!!!

 ふぉっふぉっふぉっ。はいはい、無理無理。負けた。負けたよ。勝てるわけねえっての。絶対に DT 脳とかそういう問題じゃない。キャシィ塚本なんかもうどうでもいい。このタイミングでこれを出してくる Hill Gigas には敵いませんよ。あと『ビタイチ』は『現代用語の基礎知識』に載るべきだと思います。ええと、大好きです。終わり」
 とジョーダンズ三又は言った。続く。

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